FB 2008/12:POTION×4

2008/12/28(日)


PSPソフト「DISSIDIA FINAL FANTASY」発売に先駆け登場した、12月9日発売のポーション。自分は計4本買った。といってももう2週間以上も前の話なんだけどね。味見だけなら白黒あわせて2本で十分だったんだけど、ネタとして人と一緒に飲んでみようかと思って、各色2本ずつ買った。でも結局そういう機会はなくて、2本は飲んだものの、残り2本は冷蔵庫にしまったままだ。発売日のこと以外、何も情報を得ないで飲んだものだから、口に含むまで炭酸飲料だとは知らなかった。FF12発売時にも一本購入したのだが、あれは薬みたいな味で、記憶によく残っているのだけれど、これはただの炭酸としか言いようがない感じ。あのときと違って、特殊なビンに入ってるわけでもないし(今回はアルミ缶だ)、これで1本200円は・・・、まあFFへの愛着があれば許せるレベルかな。表面に印刷された絵柄は数種類あるし、お金のあるファンにはコンプし甲斐もあるってものだろう。


そういえば9日発売といいつつも、前日の夜にはスーパーで売られていた。24時間営業のスーパーだったからなのか・・・。発売日が公式に明らかにされている場合、どの時点で小売店に入荷されるものなのだろうか。そしていつから置くようにという指示みたいなのはあるのだろうか。社会経験や色んな人との親交とかがないと、そういうことも分からないし、自分っていう人間は、世の中のこと何にも知らないんだなぁ、って、最近事あるごとに強く感じる。お金には不十分してこなかったけど、やっぱりバイトはしておくべきだった。バイトで見えてくる「社会」なんて、全体のごく一部でありそれもほとんどは表層でしかないんだろうけど、でも全然知らないのと、ほんのちょっとでも知ってるのとでは天地の差だ。公務員という、民間と一枚ならず隔たりを置いて見られる世界に飛び込んでいくなら尚更、学生時代に色々な世界を知っておくべきだったのではないかと、今は思っている。今の自分が例え公務員になれたとしても、何かの度に狭い世界観からの感覚のずれみたいなのが露呈して、「これだからお役人は・・・」というように思われてしまいそうな不安がある。そしてそういうとき、自分に反論するすべはない。民間企業への出向だってあるかもしれないけど、それだって、ねぇ。悪いところを見せてくれはしないだろうし、一体どれほど視野が広がるというのか。そもろも相手の悪いところを見ずに相手を理解するなんてことは不可能だから、自分は対立や反目の全くない終始円満な人間関係なんてのは、真の関係に達することは出来ないと思うんだよね。相手のよいところだけ見て、悪いところには目をつぶって指摘しない。そんなのは真に相手を想ってるとは言えないんじゃないか。話は逸れちゃうけど、自分はそういうのは「愛」じゃないと思ってる。


人間でも、何かの作品でも、相手に悪いところがあることを認めた上で、自分のためにも相手のためにも、相手にもっとよりよい方向へ進んでほしい、そのために直すべきところは改善して欲しいと思い、相手のためを思ってそれを忠言すること、それこそが愛というものだ。また逆に相手の悪いところだけしか見ずに相手がどんなものなのかを決め付けてしまうのも、一方的で身勝手なことであり、理解から遠ざかる行為でしかないと思ってる。物事や人間の性質には必ず二面性があるものだ。傍から見て好感を持つ面、そして疑念を感じる面、両方揃ってやっと全体を見える位置に立ったことになる。マスコミやネット経由の、一方的で偏った情報でしか社会や人間というものを知らず、希望的観測や観念的で抽象的な推論を立てて世の中を見ているつもりになっている自分は、現代の情報化社会の申し子でもあり、しかしそうした現代社会では通用しない人間であるに違いない。自分を変えたい、変えなくてはならない、そのためにはもっと「よく知る」ことが必要だ。その道筋は、まだ見えてはこないけれど。


身近な出来事から違和感なく、しかし非常に派生した話へと持っていき、自分の問題点を浮き彫りにする論点を導くのは、自分の十八番といえるかもしれないな。これを書いていてそう思った。


(原典:初代ブログ)


*フラッシュバック 第5回*

記事にするネタはあるのだが、それを書くのにものすごくエネルギーが必要で、なかなか気分が乗ってこず、結局書けない。あるいは、本当に書きたいことに至らず、論理を突き詰めないまま、表層だけなぞって終わる。そんなことが昨今非常に多い。とにかく、「文章が書けなくなった」と強く感じる。それだけに、上記の文章の奔放で軽やかな筆致には、郷愁のようなものを禁じ得ない。以前は、こうした文章がさらさらと書けた。頭がそれだけやわらかかったということだろう。内容としても、「物事の二面性」についてがメインテーマで、ネット上に多く見られるような盲目的なファンも、一方的なアンチも、いずれも対象への真の理解に至っていない、という批判がシンプルながらなかなかに核心を突いている。自分には珍しく「愛」なんて言葉を持ちだしているのは、プラネテスのタナベの影響だろうか。文章の端々から、当時関心を持っていたものや心配していたことなどを想像してみるのもまたおもしろいものだ。さて、自分が往時の文章力を取り戻すためには、どうすればよいだろうか。果たして取り戻すことは可能なのであろうか。その問いに明確な答えはないが、とりあえず今取り組んでいるのは、「小説を読む」という試みだ。SFでもミステリでも何でもいいからとにかく小説を読んで、語彙を増やし、状況・性質・心理等を描写するいきいきとしたわかりやすい表現を学びとる。それが有効なのではないかと考えている。言葉を頼りに、頭の中で情景を思い浮かべる作業は、頭を活性化する働きがあると思うし、優れた小説であればあるほど、その想像は膨らみ、リアリティを持ったものとなるはずだ。従って、先日読んだSF小説「神狩り」のような、傑作や古典を積極的に読んで行きたいと思っている。といっても、自分の読書ペースから言って、週に1冊が関の山だろうが。昔の自分に追いつけ、追い越せなんていう、程度の低い目標からは早いこと脱却して、文章を磨くためにより高みを目指したい・・・なんてことを、つい思ったのだった。

(40分:5/10)