受益と負担

自分は消費税の増税に賛成である。10%になれば、買い物をするときに税額を計算しやすくなるし、何より今の破綻した財政を考えれば増税しないほうがどうかしているからだ。当然負担は増えるし、可処分所得は減る訳だが、借金のツケを後でたっぷりと支払わされることになるよりは、今の負担を増やして借金の増加を抑制するほうが経済的だ。子ども手当だって、今の段階では子どもを育てるために役立ちうるかもしれないが、結局その財源は借金であるわけで、子どもたちが成長して大人になったとき自分に支給された以上の額に膨らんだ借金を返済しなければいけなくなる訳だから、煎じつめれば全然子どものためにはならない。今子育てをしている現役世代が楽をして、うまみを墓場に持ち逃げするだけにしかならない。真に子どもたち、将来世代の利益のことを考えるのなら、今の世代が辛酸をなめて負担を引き受けるべきなのだが、個人の経済的合理性からすれば、自分が死んだあとのことなんて知ったこっちゃあないと思うのが当然というものだ。親が「子どもを育てるのに今精一杯なんだから、そんな先の将来のことなんか考えてられないし、とにかく早く金よこせ」と思うのも極めて自然なことだし理解できる。だがそれは個人として合理的ではあっても、社会全体としての合理性とは一致しない。第一、一人ひとりの欲望を全て最大化して実現させようとしたら社会は滅びる。一人ひとりが一定の受益を保証され、それ相応の負担を引き受けて、そこそこの水準での満足を等しく得られる形での妥協を形成するのが、社会を維持するために必要なことであり、それを行うのが政治の役割というものだ。政治の仕事は、見境なくお金をばらまくことではない。負担感なき受益は、国民のコスト感覚を麻痺させ、モラルハザードを招き、フリーライダーの増加を助長することとなる。フリーライダーが増え、税負担の不公平感が高まれば、自分だけ真面目に税を支払うのはバカバカしいという税負担への否定的な感情が強まる。そうすれば税収はさらに落ち込み、ますます借金への依存が高まって、負担感なき受益は一層増えるという悪循環に陥る。これ以上、この状態を続けるのは危機を破滅に導く以外の何物でもない。


政治家は、現役世代の満足を最大化させることだけ考えるのではなく、もっと将来世代から評価されるような仕事をするべきだ。そのためには、子ども手当や高速道路の無料化といった愚策は一刻も早く捨て、国民に蔓延した負担なき受益という幻想を取り払うべきである。

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