コメント

このブログを読んでくださっている、自分の知人以外の方に対して一言。


いただいたコメントに対しては、全てに目を通しています。また、完全な宣伝目的のものや、公序良俗に反すると思われるもの以外は、削除せずそのまま掲載させていただいております。ただし、原則的にコメントに対しては、私からは返信はしません。返信しようとすると、普通は相手の気持ちをおもんぱかって「相手の意見に迎合する内容」の言葉しか書けません。私も、コメントを書くとするとたぶんそうしたことを書くことになります。しかしそんなことを書いても、自分はおもしろくありません。面倒くさいだけです。コメントを返すことを基本ルールとしてしまうと、面倒くさいことに気を患う義務が生じてしまいます。そうなると困るのです。もちろん、自分がコメントしておもしろいときは返します。あるいは、知人からのコメントに対しては、メールの返信の感覚で返します。しかしそれはあくまで例外です。基本的には返しません。無礼なやつ、つまらないやつと思われるかもしれませんが、それがこのブログにおいての私のルールですので、ご了承ください。


・・・と書いてみたものの、どうもしっくりこない。コメントを返さない理由づけが弱い。別に理由づけなんて必要ないし、「返しません」と宣言すればそれで済むことではあるが、自分はそれを論理立てて説明してみたいと感じる。一応上記のものを自分の正式な表明としたうえで、ほかにも断片的な論点を以下に示してみる。


○別の考え方〜その1〜
ネットは自由に好き勝手にものが書けるから、誹謗中傷の言葉が飛び交うのだ、という人がいますが、私が思うに、そんなことをしているのはごく一部の人間であって、たいていの人はさし障りのないことを書いていると思います。特に日本人は、周りに合わせて八方美人に振る舞おうとする伝統がありますから、その傾向は顕著でしょう。自由なことを書けるのがネットの利点なのに、見えない誰かに対して迎合するなんていかにも日本人らしいですが、自分はそうはしたくありません。ネットでまで、人に合わせようとしたくないし、そんなことをしてもおもしろくない。誰にも迷惑をかけない代わりに、誰にも干渉されない、そういうスタンスでブログを書きたいのです。だから、知らない誰かによるコメントという形の干渉に対して、無条件に応じるつもりはありません。このブログにおけるコメント機能という窓は、基本的に知人向けに開かれているものなのです。


○別の考え方〜その2〜
このブログを見ていただけること、そして自分の考えに対して賛否のご意見をいただいたり、別の角度からのご指摘を加えていただいたりするのは、ありがたいことです。しかし、この「戯言注意報発令中」は、私の、私による、私のためのブログであり、誰かの歓心を得ることや、コミュニティの形成は目的としていません。誰かのためのものではなく、あくまで私自身の利益・満足のための存在であり、このブログの中は私の世界です。社会やネットの常識や、読み手の期待・要望等には束縛されたくはありません。そうしたことに気を患っていたら、自由に色んなことが書けなくなってしまい、自分にとってのこのブログの価値は消滅します。コメントに返信することを前提としないのは、このブログに外部からのルールを課さないためです。返信を返すか、返さないか、あるいは掲載しないかは、全て自分が判断して決めます。私の領域で、私が決めたことに対して、もしとやかく言う人がいたとしても、あいにくそれは筋違いというものです。

(75分)