辞世

社会人になって誰もが感じるのは、「時間の流れるのが早い」ということだ。自分も例外ではない。だが、時間が過ぎるのが早いこと自体は、多分万人に共通の一種の生物的に必然な現象であろうから、そんなに大した問題じゃない。時間の中身を濃くすることが出来れば、それでいいのだ。とはいっても現実としては、時間の過ぎるのが早く、中身も薄いのが紛れもない事実であり、それは自分にとって酷く悩ましい問題だ。


中身をどう充実させるのか、それを考えるのは難しい。考えるだけでも難しいが、実行するとなるとさらに難しい。一体自分は何をしたいのだろう、何を目指し、何を目的に生きればいいのだろう・・・そんな、ありがちな思考につい陥ってしまう。普通はここで迷って、困って、結局うやむやになるのが相場である。だが、自分はそこからさらに踏み込んで、こう考える。「人生を終えるとき、自分がどんな状態であれば、自分の人生に多少なり納得することが出来るだろうか」と。ここを出発点に、なすべきことを逆算すると色々上がってくる。少ない友人を大切にすることとか、物を整理しておくこととか、死ぬ間際まで目が見え体が動かせる五体満足な状態でいられるように健康に気をつけることとか、法律上の罪を犯したり人に迷惑をかけたりしないこととか、古典・名作と言われる本をたくさん読んでおくこととか、宇宙の始まりやその広大さに思いを馳せることとか、人類の歴史についてなるべく多くの知識と見識を得ることとか。こうして挙げてみると、知の探求という方向性が強いのが分かって、自分の特性が分かるし、自分の職業選択もまんざら悪くもなかったのではないかと思えてくる。


この逆算から、自分が現在一番重要なことなのではないかと感じているのは、「歯の健康とバランスを保つこと」である。歯の治療を受けていてつくづく思うのは、普段からしっかり歯を磨いていればよかったということと、これ以上歯の健康を損ねたくないということだ。歯を悪くしたら、好きなものをおいしく食べることができなくなる。それは人生における楽しみの何割かを損なうことだ。歯は一生ものだが、同時にとても脆いものでもある。それを意識して、大切に、大事にしなければならない。


自分には現状のさまざまな問題に対し、大胆に取り組んで次々にてきぱきと解決していく能力はない。だから一点集中型で少しずつ変えて解決していくしかない。歯の次は運動、その次は記録みたいな感じで、ゆっくりと、しかし確実に改善に向けて取り組んでいくとしよう。死ぬまでに、自分にとって理想的な「自分というシステム」を構築できれば、自分はそれで満足である。

(65分)