経験値

いやあ、失敗するってのは、実にいいですね。頭がどうかしちゃったわけではなくて、本当に真面目な意味で。「やっちまった!」と気付いたその瞬間は、頭真っ白、気が動転、冷や汗たらたら、お先真っ暗な気分で、気持ちがネガティブスパイラル状態になるけど、しばらくたって冷静になると、この程度のミスで済ませられてよかった、今のうちに自分の悪いところ、無知なところに気付けてよかったと思って、貴重な経験が出来たことの価値を認識できるようになるから。


少し前に読んで、読みかけの状態で少し寝かせているある本でも、こんなことが書かれていた。
「理工学実験における『失敗』とは、時として『成功』を意味し、また成功は失敗を意味する。『失敗は成功よりも尊い』とまで云われる。(中略)。もし、ある部分の実験の『失敗』が、他のより大きな部分の問題点を、予想もしない形で指摘してくれたとしたら、その実験は『成功』なのである。逆に、全体としての実験が、予想外のものに終わったとしても、それが各部分の問題を洗い出してくれるようなものであれば、やはりこの実験も単なる『失敗』という言葉では片附けられない貴重なものとなる。(吉田武『はやぶさ〜不死身の探査機と宇宙研の物語〜』より)」
人間は成功すると、それに満足して、それ以上現状について何をどうすべきかということを考えなくなってしまいがちだ。一方。失敗すると、自分が慢心し油断していたことに気付き、何が悪かったか、他に悪いところはないだろうか、どうすれば改善できるだろうかと必死で様々に考える。成功から得られることは1つだけだが、失敗からはそれよりもはるかに多くの、様々なことを学ぶことが出来、次の本当の意味での成功に繋がる貴重な糧を得られるのである。そういう意味で、まさに失敗は成功の元、いや失敗なくして成功なし、といってもいいのである。今日は失敗に始まり、失敗に終わった一日だったが、それは今思えば非常に有意義な一日だった。些細な失敗を重ねたことで、自分も目が覚めた。今まで毎日同じように過ごしている中で、自分が組織の一員であり、社会の一員であり、ほとんど全て自分以外の人の力によって生かされているのだということをすっかり忘れて、油断し、たるみかけていた。それで、人に対してあまりにも無神経で、身勝手になってしまっていた。誰のおかげで働かせてもらえ、お給料を貰え、誰に対して迷惑をかけ、誰が一番自分のことを気にかけてくれているか、そうした「感謝する心」、「おかげさまの精神」みたいなものが、最近の自分に特に欠けていた。それに気付けたのが、今日の最大の教訓だった。そのほかにも色々考えさせられたが、具体的な失敗の内容を書けば長くなるし、そもそもあまりおおっぴらにすべきことでもないので、そこは割愛する。考えたことのエッセンスは、これからの記事にも書いていきたいと思う。


とりあえず、今日で研修も終わり、県内の大学の同期ともまたバラバラになった。個人的な関係をこの人たちと続けていけるかどうか分からないが、ぜひそうできるよう、期待をかけ、努力したいと思う。

(60分)