定期購読

最近、週刊ダイヤモンドの年間購読契約をした。毎週土曜に最新号がメール便で家に送られてくるとのことで、先週から早速届き始めた。それさえまだきちんと読んでいないうちに、明日にはまた新しい号が来てしまう。なので後回しにせずすぐ読まなければ、という思いを強くしている。出来れば明日しっかり読みたいし、ついでに他の本も読みたい。本は溜まる一方なので、早く読まなければマズイ。なぜなら今読まないと、いつまでたっても読み始めないことになるからだ。


常に心がけて置かなければならない重要な事実がある。それは、もうすでに、今は後回しにしておいても、いつかまとめてそれを片付けられるような便利な「いつか」など「ない」ということである。学生時代なら、時間は湯水同然の存在で、「いつか」を仮定していくらでも後回しに出来たし、実際いつでも「いつか」を「今」の状態にしてそれを行うこともできた。だがもはやそれが向こう40年は適わない(むしろその来るべき時期が来る前に自分がいなくなるかもしれない)のだから、いつでも「今やる」という覚悟と真剣な態度が必要だ。平日が帰って寝るだけなら、せめて土日くらいは自己投資しなければ、人間としてダメになってしまう・・・そういう強い危機感が、今自分の気持ちを急き立てている。


しかし、何でそんなものを買うんだ、情報なんてネットならただでいくらでも手に入るじゃないか、という意見もあるだろう。ダイヤモンドの年鑑購読料は25000円(税・送料込)。一冊500円。安いといえば安いし、高いといえば高い。ただ、メシ代をケチってでも買う価値はあると思う。食べ物は食べてしまえばそれまでだが、知識や考え方は忘れない限りいつまでも取っておける。そしてそれらは新たな価値や問題に直面したときの突破口を見つけるヒントとなりうる。だから情報に対して対価を支払うのは、決して無駄なことではないはずだ。むしろ「銀のアンカー」の作者が言っていたように、ただで手に入る情報になど大した価値はなく、対価を払わなければ得られない情報にこそ本当の価値があると思っている。そしてそうした情報は、誰かがお金を払って「買う」ということをしなければ、生まれることすらなく消えてしまうものなのである。自分はマスコミが善だとは少しも思っていないが、しかし社会を生きていく上では、彼らが伝える情報から学び取らなければならないことがたくさんあるのも事実だと思っている。だから、新聞代と雑誌の購読料を支払うことで、彼らに今後も活動を続けてもらおうと思っているのである。


自分の頭がカチカチになり、ユーモアさえ剥げ落ちかけつつあるのをつくづく感じる今日この頃。もっと色んなものを読み、あちこちに足を運んで、老化防止と自己鍛錬を目指して行きたいと思っている。

(40分)