本屋論

金曜の夜。会社勤めの社会人にとっては、一週間で一番解放的な気分に浸れるひとときである。まっすぐ家に帰るのもいいが、寄り道して帰るのもなかなか乙なものだ。コンタクトの常用を止めるためにメガネを新調しようかと思い、退勤の後にショッピングセンターの眼鏡屋に足を運んでみたが、「これだ」というビビッとくるフレームがなくメガネの購入は断念。ここまで来て何もしないで帰るのもなんだかな、と思って向かったセンター内の本屋で、思いがけずいろんな本を立ち読みすることになった。土木建築の雑誌、英会話の雑誌、経済誌に新書。気の向くまま、あれこれ流し読みしたのだが、これがいい刺激になった。手帳の活用に関する本を一冊だけ買って店を出た時には、一時間以上も経っており、時間を忘れて本を物色していたことに気づき驚いたのだった。


本屋に行くというのは、知識や情報、あるいは活字の娯楽を得ようという意思の表れである。特に、何かをしたい、できるようになりたいといった意思は、本屋に行く主要なきっかけの一つである。そういった意思と実際の行動とは、本を介して必ずしも直接結びつくものではない。料理本を買ったからといって、実際に手間暇をかけて料理するとは限らないし、いくらファミ通を買って情報を仕入れたところで、ゲームをプレイしないのではゲームを楽しんだとは言えない。意思は持っていても、それをいざ行動に移すためには、膨大なエネルギーが必要になることも多い。自己啓発本を買っても、なかなか読まずに部屋の中に積み置かれてしまうことが少なくないように、意思はあっても、それを行動に結びつけるのは難しいものだ。しかし、意思なくして行動は起こせないのもまた事実である。行動を起こそう、新しいことを始めよう、自分を変えようという意思、すなわち向上心さえ持たなくなると、人間は一気に「つまらない人」になってしまう。そうならないために、好奇心をかきたて向上心を高める上で、行動のきっかけとしての意思を保持するための行為として、本屋に行くというのは価値あることだと思うのである。もちろん本を買ってしっかり読み込むのが一番いいが、雑多にいろんな知識を得られる立ち読みというのも本屋ならではの醍醐味だ。それゆえ、定期的に本屋に行くことを習慣にするのは、非常に良いことである。自分にとっても、週に1度は本屋に行って意思を高め、最終的に何らかの行動に結び付けるための努力というのが、自分をより高めるために不可欠であろうと強く感じている。でもその前に、まずは自宅で増え続けている「積読本」を減らす努力をすべきだろうな。

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