ETV特集 戦争とラジオ

22時過ぎから23時半まで、たまたまNHK教育の番組を見ることになった。それは「戦争とラジオ 第1回:放送は国民に何を伝えたのか」という番組。昨年8月に放送されたものの再放送だったようだ。戦前の日本放送協会が、ラジオを通じて国民に対し戦争をどのように伝えていたか、その意図や内容を、戦局悪化と連動しての変化をなぞりながら辿っていくというものだった。


戦前の報道は、新聞などの紙メディアと、ラジオ放送が主要な地位を占めていた。どちらも映像ではない分、二次的、間接的に表現するメディアだといえる。従ってそれらは事実を歪曲し、隠蔽する余地が大きかった。ラジオ放送においても、大敗北を喫したミッドウェー沖海戦を勝利したかの如く報じたり、不都合な事実を報じなかったり、撤退を転進と表現したりして、政府の戦争遂行に協力していた。この番組の中では当時放送された軍人やアナウンサーの音声、存命する当時のNHK職員へのインタビュー、当時行われたNHK職員たちの座談会の再現映像などが流されていたが、一番印象的だったのは政府機関が検閲方針を示した文書中の一節、「放送は政治機関である」という言葉だった。これはラジオに対し、国民の戦意高揚のために、政府に協力し積極的な役割を果たすことを求めるもので、ラジオの側も「報道は国民を適切な方向へと導くための『報導』である」という認識を持っていた。国民の思想統制のために大きな役割を担っていたのである。現代だって、民放含めそういう側面があることは否定できないだろう。何かを伝えるということは、何かを伝えないということでもあるし、それを選別する際には必ず誰かの意図が介在している。報道が如何に恣意的な要素に満ちていたか、あるいはいるかということをつくづく考えさせられた。


そして番組の最後に、ある残念な事実が伝えられた。それは敗戦直後に、ラジオの録音盤や関係文書の多くが廃棄・抹消されたという事実だった。当時のNHK内部の実情を伝える記録はほとんど残っていないのが実態のようである。記録文書の処分というのは政府機関、軍、地方自治体までが共通して取った行動だったが、これは当時の事実を知るための手がかりの多くが失われたということを意味する。歴史研究の上で大きな損失かつ障害となっているわけであるが、一方でこうした証拠隠滅は「勝者が歴史を作る」という言葉を裏付けるほんの一例に過ぎないのも確かである。ナチスも敗戦時には自国に不利な証拠を残さぬため同じ行動を取ったし、過去の人類の歴史においても、秦の滅亡時に都が燃やされたりしたように、敗者の記録(や文化)は後世に残されることなく消えていった。ゆえに今に残る歴史というのは、ありのままに過去の事実を写しとったものではなく、意図を持った誰かによって切り取られ、加工されたものなのである。それを考えると、歴史上に絶対確かな事実なんて、一体全体果たして存在するのだろうか、そう思わずにはいられない。だからこそ、歴史は多くの人によって、多様な側面から観測・研究され、様々な可能性がありうることを前提として語られねばならない。歴史に一冊のこれが唯一正しい教科書なんてものはありえないし、あるべきではない、百人百様の歴史観があってしかるべきだ・・・それが自分の持論である。


最後に一点、新たに知ったことを書きたい。テレビだと見ている人のことを「視聴者」というけど、ラジオの場合は聴いている人のことを「聴取者」という。聴取者というのは耳慣れない言葉だったので、番組を見ているときは文字が浮かばなかったが、事情聴取の聴取だったのか。勉強になった。NHK教育を見てもっと賢くなりたいもんだ。

(85分)