映像の世紀

先週末、たまたまテレビのヒストリーチャンネルを付けたら、「映像の世紀」が放送されていた。1995年にNHKスペシャルとして全11集が放送された、20世紀の世界史を当時記録された「動く映像」によって描いた番組である。激動の20世紀を表現したOP映像とテーマ曲は、あまりにも有名だ。見た時は、ちょうどOPの最中だった。映像のセンスは、放送から15年以上を経た今でも微塵も色あせていないと感じた。過去にたびたび再放送されてきた番組で、自分が歴史好きだったこともあり、小学生のころから今まで何度も見たことがあったが、ここ3年ほどは見ていなかった。いい機会だと思い、久々に視聴することにした。


その日やっていたのは、第2集の「大量殺戮の完成〜塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た〜」。第一次世界大戦の開戦から休戦に至るまでの約4年間の戦争を描いた回である。「3週間で終わる」「クリスマスまでには帰れる」「大した犠牲も出ない」という楽観的なムードで始まった戦争は、人類史上かつてない規模へと拡大し、日増しにその激烈さを増しながら、終わりの見えない泥沼の中へと突き進んでいく。モノクロの映像が伝える、その戦いの凄惨さ、冷酷さ、異常さは、筆舌に尽くしがたいものだった。人が撃たれる瞬間や、死体が荷車に積まれる様子など、容赦のない映像には、時に目を背けたくなるほどであった。


ところで、この映像作品を唯一無二のものにしているのが、「ピアノの詩人」と言われる加古隆の作曲した音楽である。一世紀前に切り取られた世界に、まるで今そこで起きているかのような躍動感を与えている。特に悲壮で重厚な響きを持つテーマ曲「パリは燃えているか」は、聴いたものに強烈なインパクトと深い感銘を与えて止まない。iPodに番組のサントラ2枚が入っているが、この曲を聴くといつもはっと目が覚めたような気持ちになる。


そして、75分の番組を見終えたとき、自分の心は深く沈んでいた。人類の英知の結晶である科学技術が、恐ろしい兵器を生み出し、人類を滅ぼしかねない破滅的で無慈悲な大量殺戮と破壊をもたらすという、悲惨で愚かしい現実。それは究極の皮肉としかいいようがない。これが、今我々が生きるこの世界で、実際に繰り広げられた光景だと思うと、息が止まりそうなくらい胸が苦しくなる。涙が溢れそうになる。この番組が伝える歴史の事実は、ただそれだけでどんな言葉よりも鮮烈で強力なメッセージを持っているのだ。


こうした戦争があり、人々が国と国との間で殺し合い、900万人もの戦死者と2000万人もの負傷者を出し、それにも関わらずわずか20年後にはそれを上回る惨劇が繰り返されたという歴史は、決して忘れてはならない、忘れ去られてはならないことだ。それだけに、過去の歴史を生々しいほどにありありと今に伝えてくれる「映像の世紀」は、時代を超えた普遍的な価値を持った番組だと言っていいし、自分の歴史観、引いては思考形態そのものにまで、この番組は大きな影響を与えている。今回視聴してみて、それを改めて確認したのだった。


第一次大戦の開戦日は1914年7月28日、あれから97年の時が過ぎた。

(2011/7/24:原文50分+2011/7/30:加筆60分)