向き不向き

「地元って、もしかして自分、向いてないかも。」


昨夜、高校の同級会に参加して、そう思ってしまった。半年から1年ぶりくらいに会った友人たちの中で、いまいち自分の居場所を作れないでいたからだ。どうにも、「普段付き合ってない人と旧交を温める」的なことがうまく出来ないのである。この分だと、4日後の中学時代の集まりでも、同じ調子でうまく馴染めないまま終わるかもしれない。何を話していいかわからないし、話し出しても面白くもない話をしてしまうだけなので、ただ聴いているだけのほうがよっぽど楽しい。このコミュニティと今後も付き合っていくのは、自分には無理かもしれないと思った。


基本的に自分は一人でいるほうが好きな人間なので、友だち付き合いはよくないほうだ。メールや電話なんて、大学の友人以外とは交わさない。そのため、中学や高校の友人とはずい分疎遠になっている。それぞれ一人二人ずつくらい、今でも親交のある人がいるから、それで十分かななんて思ってしまっている。だから、昨日の夜、男女問わず自分のことを「いっちー」というあだ名で覚えてくれていたことは、正直驚きだったし、少しうれしくもあった。が、申し訳ないことに、女子の名前は全然覚えていなかったので、半分は誰だかわからなかった。多分今卒アルを開いても当時と今とは「別人」なので見分けがつかないだろうが。


誰がどこに就職したとか、してないとか、昨日はそんな話が多くされていた。やっぱりみんなそういうことは気になるみたいだ。自分も就職先を尋ねられたが、そこで何回も「え?何それ」という反応を返されて、「大学職員という職業は一般に理解されにくい」という話を身をもって実感した。大学は、学生と教授だけで運営されてるわけじゃない、事務もいるんですよ、ということを説明しなくちゃならない。面倒だ。「市役所です」「県庁です」と分かりやすく説明して、キャーキャー言われてたほかの連中が少しうらやましかった。「何それ、公務員?」とか訊かれると、更に説明が長くなるので、だんだん敬遠されるようになったし。これからは「端的な職業説明」を考えておかなくちゃならないようだ。


自分は家はそんなに嫌いじゃない。両親はそんなに好きじゃない(それでも父との関係が険悪だった就活末期よりはマシになったが)が、祖父母が毎回帰ってくるたびに喜んでくれてたし、弟とゲームや漫画の話が出来るのが楽しいから。家族と関わりたくないときは部屋にいればいいし、これからアパートの充実したAV設備などが自室に移行されれば、部屋での滞在率は一層上昇するだろう。だから実家に住むことには抵抗感はない(長男で実家住まいだと嫁をもらいにくいとかいう話もきくけどまあそれは今のところ関係ない)。でも、この上越地域でこれからどういうコミュニティに属していけばいいのか、ということには大いに不安を感じている。近所の人、旧友、職場の同僚、そういった人たちとの関りあい方に対する態度というものは、一体どうすればいいんだろう。4月からの最大の不安は、そこにある。

(40分)