遅い幸せ

今日の午後、実家に帰省した。


二週間ぶりだから々でもなんでもない。だが、家族の歓迎ムードと喜びようといったら未だかつてなかった。就職先が決まったからだ。


特に祖父母は手放しに喜んでいて、せっかちにも自分に買い与える車の話をしていた。車くらい自分で稼いだ給料で買いたいし、いくら何でもそこまで甘やかされるのは嬉しくない。でもそれが祖父母の楽しみである以上、無碍にするのもよくないので、その場では適当に話を合わせておいたのだった。


就職が決まるのは人よりかなり遅く家族の気を揉ませたが、その分決まったことに対する喜びも尋常ではなかった。ある意味遅かったが故の幸せとも言える。


浪人も留年もせずここまで一応最短期間でこれたということは、何一つとして自分の実力によるものではない。家族が養ってくれ、思いやりのある友人や知人に助けられ、多くの幸運に恵まれていたからに過ぎない。


それら多くの人たちに感謝し、恩返しすることが、これからの自分にとっての生きる目的であり、義務であり、夢でもある。


それを自分の力で遂げるまでは死ぬわけにはいかない。今、そんなことを感じている。


ところで話は変わるが、自分は何をするにも人より時間がかかるほうだ。つまり動作が遅い。


漫画を読むのも、食べるのも、何かを考えながら書くのも、ゲームを攻略するのもだ。


そのことで人を待たせることもあるし、損をすることもある。


でもこれを悪いこととは思っていない。何故なら同じものを人より長く楽しめると思うからだ。


例えば今日は「バクマン。」という漫画の一巻を読むのに一時間半かかったが、これはゲーセンだと思えば同じ金で人の倍の時間遊べたようなものだ。


食べ物ならよくよく味わって食べられるし、腹も減りにくい。


自分はそういう意味でまたとても幸せである。


今後も物事をそういうふうに前向きに考えて頑張っていきたい。ただし、人に迷惑をかけないようにする、という視点はきちんと心得ておかなければならないけどね。

(45分)