保育園のおかげ

今日はセンター試験の振替休日で、平日休み。妻は仕事だったので、アパートにこもって子供と二人きりで1日過ごし、家事をしつつ、食事や寝かしつけなどの子供の世話に追われた。こういうときは、保育園のありがたみを痛感する。

 

 

子供は、1歳3ヶ月だった昨年11月から、保育園に通い始めた。朝は自分が7時半ごろに保育園に送り、夕方は妻が16時過ぎにお迎えに行くというサイクルで、平日は毎日預けている。妻は育休を終えて12月から職場復帰することができた。保育園は食事などの親の育児の負担を軽減してくれるだけでなく、ほかの子や大人と接することで子供の社会性を育む機会にもなるし、様々な遊びを通じて知育や発育も促進され、日常生活に欠かせない生活習慣を身につける手助けもしてくれる。子供にとっては保育園で様々な経験をすることが成長につながるし、親も保育園のおかげで、仕事と家庭のバランスを取れたり、育児にかかるストレスを軽減できたりする。特に、実家の祖父母等に頼れない我が家のような核家族では、その恩恵は計り知れない。保育園、保育士さんには、日々感謝するばかりだ。

 

 

ただ今日は、午前中に子供を医者に連れて行ったら、思いの外時間がかかって給食の時間近くになってしまったため、休むことにしたのだった。子供、特に言葉の通じない乳幼児の世話は、本当に大変だ。食事やミルクを拒まれたり、抱っこしても泣き止まなかったり寝付かなかったりすると、こちらも気が滅入るし、不安になるし、場合によっては苛立ちも覚えてしまう。今はそうではないが、夜泣きで寝不足だったり、仕事のストレスが溜まっていたりすると、親の精神状態もなおのこと不安定になるものだ。子供が自分の思ったとおりに行動しないのは至極当然ではあるし、急がせたり強制したりすべきではない。だが、だからといって慈悲深く何でも許容できるかといったらそんな訳もない。親といっても、一介の人間に過ぎない。そういうストレスを感じたとき、自分はアドラー心理学の「課題の分離」(自分の課題と相手の課題を分けて考えること)を意識して、気持ちを切り替えるようにしているが、苛立ちの矢が我が子に向かって飛んでしまう人も中にはいることだろう。ずっと二人きりでいると、大人にとっても、子供にとってもストレスがかかる不幸な状態に陥りかねない。そういう問題もあるからこそ、「子育ての社会化」が叫ばれるのだろう。もっと、社会が子育てに関心を持ち、子育て世代の大変さに理解を示し、社会全体として財政的、物理的、精神的にサポートしていこうというムーブメントが盛んになっていかないと、少子化に歯止めはかからないだろうなと思う。

 

 

明日からは子供も保育園に復帰する予定だ。保育園への感謝は、どんなときも忘れないようにしたいと思う。

 

(30分)