シン・職場百考(5)~無盆休み

世間一般では、お盆休みの「6連休」が今日から後半に突入したところだが、自分には、今がお盆だという感覚は微塵もない。なぜなら、自分の職場は8月も毎日営業しており、職員には一律かつ定日のお盆休みなどというものはないからだ。職員が一斉に休みにならないように、通常の公休日を分散して割り振っているから、せいぜいその公休日がたまたまお盆に重なっていたら、「なんちゃってお盆休み」として2~3日休めるに過ぎない。しかも、8月は世間が夏休みということで自分の施設も利用者が多く、施設内は非常に混み合っており、それに比例して様々なトラブルも発生している。怒濤のような忙しさの毎日で、今が何月何日かも分からないほど、てんてこ舞いだ。たとえ休日でも、心が休みになることはない。

 

上記の解釈でいうところの「なんちゃってお盆休み」は、自分の場合、昨日と今日(13日、14日)の2日間なのだが、コロナ禍が明けたにも関わらず、どこか遠くに遊びに出かけるとかいったお盆らしいことは一切していない。操法練習の報告書が7月末に完成し、やりたいことも、やらなくてはいけないことも、ひとまずなくなったので、近所の買い物以外はただただ自宅で家族と過ごしている。実家には頻繁に立ち寄っているので、お盆だからといって実家に墓参りに行くこともなければ、特に親類が集うということもない。自分にとっては、故人やご先祖様は常にそこかしこにいる存在(≒お天道様)だと認識しているという理由もある。そんなことをしていると、普通なら妻が「どこかに連れて行け」と文句を言うところだが、妻は妻で、昨日まで自分の実家に子供を連れて帰省し、豪華な料理を食べたりプールに遊びに行ったりと羽を伸ばしまくっていたので、今のところその心配はなさそうだ。そもそも、暑すぎて外に出るのは危険という事情もある。妻の帰省していた3日間のうち2日間は、自分は勤務日だった。その間にしていたことといえば、普段は18時までしかできない超勤を両日とも21時半までして、溜まった仕事をやっつけたりと忙しく働き、食事は1日目の夕食はスーパーで半額になったトンカツを食べ、2日目は半額品すら残っていなくて冷凍パスタを食べるという貧相ぶりで、贅沢三昧の妻とは対称的に全くもってお盆らしさはなかった。

 

混雑が何より嫌いな自分は、もともと「お盆休み廃止論者」なので、お盆に働くことそのものには抵抗感は特にない。大型連休も無くして、その休みを分散させるのがベストだと信じている。ただ、家族と休みが合わないという点においては、これは深刻な問題が生じかねない。職員の中では、やはりカレンダーどおり休みたい、世間一般と同じように休みたいという声が当然ながら多いので、多くの人にとって「無盆休み」というべき今の職場の働き方は、労働条件としてかなりネガティブに映ることだろう。利用者の利便性、利用者の獲得を優先して、今の営業日数を維持するか、労働条件を改善して優秀な人材を集めるために、営業日数を減らして職員がカレンダーに近い休み方をできるようにするか、そろそろきちんと考えた方がいいのではないかと思えてならない。


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(60分)

シン・職場百考(4)~無冷房職場

暑い。今年の夏はとにかく暑い。日中の炎天下に立つと、まるでドライヤーの風を受けているかのようだ。あまりの「熱」でアパートのネット接続の機器が故障し、交換するまで3日間ネットが使えなくなるトラブルも起きた。7月下旬から今日までの3週間、ほとんど毎日「熱中症警戒アラート」が発表され、「不要不急の外出はできるだけ避ける」「屋内でもこまめに水分補給する」「冷房を適切に使用する」ことが至る場面で呪文のように繰り返し注意喚起されている。だが、仕事に出かけないわけには行かないし、自分の仕事の性質上、草刈りや森の中の点検などの屋外作業も不可避だ。やむを得ず、熱中症のリスクを抱えつつも、長袖長ズボンの作業着に長靴を履き、滝のような汗をかいて、灼熱の炎天下に身をさらして働いている。最近聞くようになった「地球温暖化ではなく地球沸騰化」という言葉も、むべなるかな、と実感する。しかし、外が暑いのは当然としても、もっと問題なのは職場の事務室も相当暑いということだ。なんといっても、館内には一切の冷房がない。だから、外が猛暑日なら、事務室内も32℃近くまで室温が上がる。イスに座っているだけで汗がにじむし、少し移動するだけで、汗がしたたり落ちてくる。そして、屋外作業が終わっても涼むことすらできない。冷房がないことで、身体面でもモチベーション面でも、働くのが非常にしんどい状況を招いている。常に体が汗でベタベタして不快極まりないし、外の作業で帽子をかぶれば頭髪も乱れるから、もはや身だしなみもへったくれもあったものではない。10年来使っているUSB扇風機で辛うじて涼を取っているが、所詮は気休めだ。労働環境としては、相当厳しいものがあると言わざるを得ない。過酷な環境が続いて体力も気力も低下し、体重は過去10年でもっとも少ない56kg台まで減っている。今年の2月からの減少量は約6kg、半年で体重の1割を失ったことになる。自分はどちらかというと冷房は好きではない(快適すぎる環境は人間をダメにすると思う)し、使わなくてよいならそれに越したことはないと思っているが、そんな自分にとってさえも、この熱波の中で職場に冷房がないのは、あまりにも耐えがたいと感じる。

 

冷房のない宿泊棟で寝苦しい夜を過ごす利用者からも、「事務室くらいは冷房があっていいのでは」と同情されるが、財政難の折、エアコンを新たに設置する計画は今のところないようだ。暑さを凌ぐために冷房をかけ、冷房のために化石燃料を燃やして発電し、それによって生じた二酸化炭素や廃熱でさらに温暖化が進んで「地球沸騰化」する・・・という悪循環に陥ってしまっているとすれば、省エネ・節電の努力も何だか空しく感じてしまう。立秋を過ぎてもまだまだ猛暑が続いているが、一刻も早く暑さが収まり、この状況が改善されることを願うばかりだ。

 

※1年以上が経ち、もはや「新職場」ではなくなったが、出向先について思うところはまだまだあるので、タイトルを「シン・職場」に変更して、このシリーズを継続することにする。シンには「真」「深」「辛」などの意味を込めた。

 

(60分)

操法が残したもの ~光と影~

6月下旬、市内の消防団の最大行事である競技大会が行われた。その場に、消防団の末端組織である「消防部」を部長として率いる自分の姿があり、自分の部のチームも「小型ポンプ操法の部」に方面隊代表として出場していた。出場選手たちは、普段どおり落ち着いた様子で、目立ったミスもなく練習時のベストタイムタイで、堂々たる演技を披露した。その結果は、上位入賞。思ってもみなかった好結果に自分もほかの団員たちも戸惑ったものの、その瞬間、これまでの長い練習が報われたことのうれしさがぐっとこみあげてきて、口々に選手やお互いをねぎらう言葉が飛び交ったのだった。その夜の慰労会では、練習が終わった解放感と結果を出せた達成感で、みな底抜けに明るい顔をして酒をつぎ合い、盛り上がった。団員同士でこんな楽しい時間を過ごせたのは数年ぶりのことだったし、自分も4月から「願掛け」として断っていたお酒を3ヶ月ぶりに解禁し、「部長おつかれさま!」という声とともに次々とグラスに注がれるビールをせっせと飲み干したのだった。3ヶ月のブランクと、活気に満ちた空気がもたらしたあのときのビールのおいしさは、忘れがたいものがあった。

 

 

・・・というのが、4~6月の3ヶ月間に渡り繰り広げられた「操法練習」の最後の一幕である。操法は長年、その練習にかかる負担の重さが団員から敬遠され、「消防団離れ」の最大の要因とされてきた。実際の消火活動から乖離して過度に形式化、競技化が進んだ、いわゆる「訓練のための訓練」になっていることが問題視されており、全国で参加を任意にしたり、上位大会への出場を取りやめたりといった見直しが進みつつある。ただ、自分が所属する市内の消防団では、各方面隊から毎年代表を出すことになっており、その代表は方面隊内の消防部の持ち回りで決まる形となっている。つまり、自分たちの番が回ってきたら、「義務」として参加しなければならない。その参加が確定した昨年の夏に、これまた順番どおりに自分が「操法の年の部長」を務めることが内定(集落内の団員を集めた会議で周りから圧をかけられ、抵抗・反論空しく、「やります」と言わざるを得なくなった)した。それ以来、どうやって大会までの操法練習を行うか、部内の団員たちをどのようにまとめるかということが、自分の中で非常に厄介で重たい問題として居座り続けていた。

 

そんなこんなで悩みに悩みを重ねつつ、自分が部長として携わった今回の操法では、ある大きな決断をした。「練習は全て朝練。夜練は一切しない」、「練習回数は前回の6割」、「直前でも週3回の練習ペースは変えない」等の基本方針を掲げ、それを「全体計画」として文書化した上でスタートしたのだ。このやり方には、「結果を出すには練習量が命」と信じる古参の団員や幹部から不満や心配の声が上がったが、自分は断固として譲らなかった。前回2015年の大会出場時の猛烈な練習量(直前1ヶ月は土日以外毎日練習、朝練をやったあとに夜練をする日もあり)は、あまりにもスパルタ過ぎて選手ではなかった自分にとってさえ「トラウマ」になっており、それを「繰り返さないこと」が、部長職を自分が嫌々引き受けた際に心に誓った条件だったからだ。とはいえ、自分とて単にやりたくないからやらないということで練習量を減らしたわけではない。全体計画の立案に当たっては、大会に出場する選手(指揮者、1番員、2番員、3番員の4人チーム)も交えて入念な議論を重ね、方針について選手からの指示を得ていた。そして、選手との間で「練習量至上主義の固定観念に染まった幹部の意識を塗り替えるため、練習量を減らしても結果を出せることを、今回の操法練習を通じて証明してみせよう」と約束し、選手との信頼関係を構築した上で、部長として責任をもってこの決断をしたのだった。練習開始後も自分の決意は揺らぐことなく、特に前回部長だった団員から練習の強化を求める様々な「アドバイス」を受けるも柳に風で、最後まで計画どおりに意思を貫いた。計画には、基本理念として以下の5項目の方針を掲げていた。

 

(1)順位より自己ベスト:優勝(=上位大会への出場)は目指さないが、せっかく出場するからには堂々とした演技を披露し、あくまで部としての自己ベストを目指す。

(2)一致団結:選手が練習に専念できるよう、他の団員が準備や安全の確保、片付け等で常にサポートし、前向きな雰囲気を醸成しながら、全団員で協力して本番に臨む。

(3)効率化:前回出場時の工夫や経験を準備段階からフル投入して活用し、具体的な全体計画を立ててスタートすることで、準備・練習を効率化する。また、次回出場時にも今回の経験を生かせるよう、活動の記録等を残す。

(4)練習量の抑制:動画の視聴や資料等によって各自で学習ができる環境を整えることで、1回当たりの練習の質を高め、練習回数を前回の7割程度に抑えることを目指す。(前回は推定50回以上練習したので、今回は30回以内を目安にする。)

(5)消防を最優先にしない:操法練習のために仕事や家庭、生活に過度な負担が生じたり、疲労を重ねて怪我を誘発したりするのは本末転倒なので、各自で健康管理(睡眠時間や生活リズム等)に努めながら参加するようにする。心配なことがあれば、班長・部長に気兼ねせず相談する。

 

いざ大会を終えてフタを開けてみると、練習回数は前回の50数回から29回に抑制したにも関わらず、前回の6位を上回る過去十数年で最高の結果を出すことができた。そして、練習過程と結果は、全くもって上記の方針に沿ったものだった。この結果を前に、反論してくる人は誰もいなくなり、むしろ「やり方は正しかった」「画期的だった」という評価にひっくり返って、思いがけず自分が賞賛されることになった。そうした声を前に、自分の心の中では、幹部たちの鼻を明かすことができて晴れがましい気分と、別に好きでやったわけではないという戸惑いの気分とがシーソーを繰り広げていて落ち着かなかったが、それでも「無事終わった」「解放された」という大きな安堵感、達成感があったのは紛れもない事実だった。それは選手をはじめ団員たちも同じだったと思うし、大会直後にとったウェブアンケートからも、今回の方針への支持と、所期の成果を挙げられたことをデータとしてはっきり確認することができたのだった。

 

それにしても、部長として操法練習を最後まで遂行するのは本当に大変だった。自分と部内の班長4人を「執行部」として、各班長に役割を与え、練習時の現場の指揮は班長に任せたり(ただ、実際にはあまり機能しなかった)、機材の購入にかかる会計も班長に委任したり、練習の出欠管理はウェブサービス(伝助)を使って効率化・共有化したりと、「自分が常に現場にいなくても回る仕組み」を作ることにとにかく腐心した。そうしないと自分の身が持たないと思ったし、「部長の仕事を数人で分担する」ことが、部長を引き受けた会議の場で突きつけた条件でもあったからだ。それでも、朝4時半に起きて(練習に参加した回数は全体の3分の2程度だったが)、片道8kmも離れた練習会場(自分は地元を離れているため。ほかの団員は1~2kmの距離)まで車を走らせ、1時間程度練習に携わった後途中で退席して帰宅し、6時半に子供を起こして朝食を食べさせ、子供の保育園の準備と自分の身支度をして、7時15分には出勤のため家を出る・・・という生活を3ヶ月も続けるのは本当に心身に堪えた。部長の役割はほかにもあり、幹部と班長の上下両方から来る連絡・相談への対応、班長・団員への様々な指示、消防団事務局から来る作業指示等への対応・報告、部長会議への出席(平日19時から開催だから、子供の風呂に間に合うか毎度ヒヤヒヤ)、大会当日の役割分担やタイムテーブルの作成などなど、とにかく盛りだくさんだった。当然、これに加えて、日常の育児・家事と仕事は何ら変わりなく並行することになるので、大会が近づくに連れて状況は混迷の度を深め、最終盤は仕事の忙しさが相まって頭の中がカオス状態に陥った。ただ、これほど難しい状況だっただけに、「プロジェクトマネジメント」的なスキルの訓練としては、かなり自分にとって効果的だったように思う。自分としても、計画を立てて、常に情報共有し、やったことの記録を残し、ウェブを最大限活用して様々な作業を効率化した上、やりっぱなしの自己満足にせず事後アンケートをとって効果測定をしてPDCAを回すなど、事務職員としてのスキルを最大限投入して臨んだ。自分の培ってきた事務スキルが生かせた手応えはあったし、結果を出せたことで自分のマネジメント能力にも多少なりとも自信が持てた。部長をやってよかったとは決して思わないが、部長としてやったことがただ「消防のため」だけで終わらない成果につながったと感じられたのは、大事なことだったと思う。

 

長々と色んなことを書いたが、自分の人生の記録と、心の整理ができたので、この辺で終わりにしようと思う。今回獲得した操法練習のノウハウも、作成中の報告書が完成したら、頭の中からきれいさっぱり忘れるつもりだ。早く完成させて頭の中をリセットしたい。操法に何の思い入れもないし、義務ではなくなることがベストだと信じているが、団員たちと勝ち取った栄えある結果と、そこに向けた真摯な努力は、きっと大事な思い出として心の中に長く残ることだろう。

 

(150分)

免疫力

全国的に梅雨入りが進み、残るは東北地方と、新潟県を含む北陸地方のみとなった。いつもなら大して気にも留めない季節のニュースの一つに過ぎないが、今年は少し様相が異なる。理由の1つは、消防団操法の朝練を週3回行っている関係で、雨天が練習の可否に関わること。もう1つは、低気圧になると頭痛がするようになったためである。割とよく聞く症状であり、妻も以前からそうした症状を訴えていたが、自分が実際常習的に頭痛を感じるようになったのは、この1年ほどの間のことだ。頭痛症状が起きてから初めて迎える梅雨なので、戦々恐々としている。関連性があるのかは分からないが、昨年8月に新型コロナに感染した頃が発症の時期的には符合する。元々、仕事でもオフでも、日中にあまり水分を取らない生活スタイルを続けてきたので、夕方になると体の血流悪化で頭が痛くなってくることはよくあった。しかし、最近は朝から痛くなることが多く、その周期が概ね天気の状況と一致することから、「低気圧頭痛」だろうと自己診断するに至ったのだった。妻は、目の奥のほうがキリキリと刺されるように痛むと訴えるが、自分の場合、頭全体がズーンと重くなる感じで、鋭い痛みではない反面、へばりつくように中々取れないのが特徴だ。当然、仕事のやる気や能率にも大きな影を落とすことになる。対策としては、脳外科で処方された漢方薬を朝昼飲んだり(夕はあまり飲まない)、これまでよりも積極的に水分を摂るようにしたりしているが、いずれも対症療法なので完治につながるものではない。原因はストレスなのか、食生活や運動などの生活習慣なのか、コロナの後遺症なのか分からないが、頭痛とは「長いお付き合い」になるであろうと観念し、この現状をありのままに受け入れている。

 

頭痛に限らず、ここ最近は体調が常に悪い。「今日も元気だ!」なんて感じる日はまずなく、いつも体のどこかしらに異常を感じながら過ごしている。かくいう今日も、昨日から発症した風邪症状(喉の痛み、鼻水、悪寒、38度台の発熱)のせいで、急きょ仕事を休むことになってしまった。今回は家族で自分だけが発症したので、特に原因も分からないいわゆる「普通の風邪」(念のため自宅でコロナの抗原検査も受けたが陰性)だったと思うが、子供が風邪を引くとほぼ100%自分も感染するので、風邪を引く頻度が以前より高まっていることは間違いない。そして何より、一度体調が悪くなると、快復するまでに以前より数倍の時間がかかるようになったのも、疑いようのない事実である。例えば、4月下旬に子供の咳がうつって「我慢できないほどの発作的な咳」の症状が出るようになった後、完全に治るまでには1ヶ月もかかった。会議中に症状が出て、廊下に出て咳をしてから戻ったりすることもあったので、いくらコロナが5類移行したとは言え、ひんしゅくものであった。子供が数日でケロッと治ったのとは対照的である。こんなことが日常茶飯事で、原因不明の痛みや不調が常に体のどこかしらで起きているのだから、気持ちだってそれに引っ張られてついつい弱気になる。「健康優良不良少年」になれるものなら、なりたいものである。

 

顔の見た目、頭髪のボリュームダウン、肩こり、柔軟性の低下、体力低下などを抑えて、自分が年を取ったと感じる最大の要因は、何といっても免疫力の低下である。前者に比べて明らかに実害が大きいからだ。今、引いている風邪も、果たして明日になれば治っているか、自信は持てない。免疫力の低下には、睡眠不足や、運動不足、食事のバランス、ストレスなどが影響を及ぼすと言われているが、どれも非常に危うい状況だから頭が痛い(比喩的な意味で)。10年以上前から健康管理の上で心がけてきた「予防の原則」は、この年齢になって一層その重みを増している。自分はもう若くない・・・それを気持ちの問題ではなく、現実の利害に関わる問題として、突きつけられている。仕事をスムーズに進め、前向きな気持ちで生活を送るためにも、生活習慣の改善への意識をもっと高めていく必要がありそうだ。

 

(60分)

命の洗濯


今日は平日休み。普段なら家で過ごすことが多いのだが、運動不足と体調不良で鬱々した気持ちを吹き飛ばし、仕事で潰れた大型連休にリベンジ(?)すべく、朝から今シーズン初のサイクリングに出かけた。

 

自転車に乗ること自体、昨年9月以来で半年以上ぶり。雨上がりの爽やかな晴天の下、花粉の心配のない澄んだ空気を胸いっぱい吸い込みながら、目的地も決めず、地図も見ず、気のむくまま、心のむくままに山の方に向かってペダルを漕いだ。妙高山がどこから見ても気高く美しいこと、以前から興味のあった神社に参拝できたこと、何よりずっと自転車で走りたいと思っていた道を念願叶ってようやく走れたことに、ただただ感無量。45kmほどのミドルライドながら、これが正真正銘の命の洗濯か、温泉100回分の効果はあるんじゃないか、としみじみ走る幸せを噛み締めたほど。やはり、自分にとって、体を動かすことに勝るストレス発散方法はないのだと確信するに至った。どこまでも楽しく、気持ちよく、いつもの風景が非日常のように特別に感じ、きらきらと輝いて見えた、大満足の半日だった。


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(15分)

ある日のテーマ曲 その3

土日祝日無視のシフト勤務で、世間は連休なのに自分の休みが連休になっていないがために、妻から「そんなに仕事が大事か。家族のことはどうでもいいのか」と、自分に非がある訳でもないのに壮絶なバッシングを浴びせられて心身が疲れ切り、大勢の人でごった返す全国の観光地の様子を浮かれた雰囲気で伝えるテレビのニュースを心底恨めしく感じながら絶望的な気分で眺める、「人生最低」と断言して間違いない今年の大型連休のまっただ中に心の奥深くで流れたテーマ曲。

 

ドラゴンクエストⅦ フィールド曲「失われた世界」

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怒りや、不条理さや、絶望感・・・何でこんなに頑張っているのに、何か悪いことをした訳でもなかろうに、こんな目に遭わなければいけないのか・・・という複雑な感情が入り交じったぐちゃぐちゃな心境、というのが正直なところだ。だが、心が憔悴しきってエネルギーが尽きたような状態でふと流れたのは、20年以上前にプレイしたゲームの美しい音楽だった。自分はつくづく、いつまで経っても、ドラクエに、すぎやま先生にお世話になりっぱなしだなと改めて感じたのだった。

 

今年の大型連休は、5連休のうち3日目と5日目がシフト休みで、その前の週末を含めても連休になっている日はない。ただ、去年の大型連休のシフトも、2日以上の連休はなかったのだが、ここまでコテンパンになじられるようなことはなかった。今年はカレンダー上の連休が長い(去年は3連休)から、余計に妻の逆鱗に触れたのだろう。もはやどうにも手をつけられないほど状況は悪化している。それに輪をかけているのが、子供がきっかけで自分が風邪を引いていることだ。咳と鼻水の症状は辛いし、自分のメンタルも弱っているところに、このまま自分にもうつされたら実家に帰省できなくなる、と妻の怒り心頭もいよいよ手がつけられない状態になっているのだから、もはや途方に暮れるほかない。当然、休めるものなら自分だって休みたいところだ。しかし、他の職員も仕事の都合上、連休を取りたいのを我慢して出勤しているのだから、そうもいかない。やむにやまれずこんな仕様もない休みになっているというのに、同情するでもなく、慰めるでもなく、事もあろうに家族から罵倒されるというこの仕打ちは、とてつもない空しさと悲しさ以外の何物でもない。もはや心にぽっかりとギアガの大穴が空いた気分で、食欲もわかず、酒の一滴すら飲む気にはならない。当然、誰かと会うような予定など入ってはいない。

 

元来、民族大移動のような混雑だらけの大型連休にはうんざりしていた自分だが、今回の一件で明確に大型連休が嫌いになったのだった。

 

(50分)

雑感:2023/04/09

怒濤のような年度末の嵐は過ぎ去り、4月から新年度が始まった。しかし、相変わらず、立ち止まって思索に耽る、感慨に浸るといった余裕は持てず、1日1日が瞬く間に過ぎ去っていく。振り返り、書き留められなかった日々は、この手から離れたが最後、忘却の彼方へと消え、二度と取り戻すことはできない。まるで、風に吹かれて、なすすべも無く飛ばされていく灰のように。不可逆的で再現性がなく、かけがえのない、今この瞬間・・・。もしかしたら人生最後の日になるかもしれない今日という日を、心の中に浮かんでは消えていく儚い思いを、ただ「タスクをこなす」ことだけにかまけて、蔑ろにしてしまっていいものなのか。文章としてまとまりは持たせられないとしても、少しでも「思いの痕跡」は残したい・・・。そんな焦燥感に突き動かされ、妻の目をかいくぐり、休日の家事育児のスキマ時間をかき集めて、今の自分を見つめてみることを試みた。

・「3月28日に坂本龍一が死去」というニュースが4月2日に流れてから、この1週間、報道番組等で坂本龍一の楽曲を頻繁に聴いた。自分がいつから坂本龍一の音楽を聴いていたか、今まで意識したことは無かったが、自分のPCのiTunesを調べると、2010年2~4月にアルバム「YMO GO HOME!」、「/04」、「/05」を取り込んだ記録があるから、この頃にはアーティストとして認識していたのだと思う。その直前に初音ミクオーケストラ(HMO)を聴いていたから、それがきっかけでYMOに興味を持ったのだろう。たまたま今年1月にNHKで放送された坂本龍一のピアノソロ番組を視聴していて、レコーダーに消さずに残してあったので、訃報が流れた日の夜に再び鑑賞した。本当に最後の力を振り絞って演奏していたんだと思うと、「東風」も「Merry Christmas Mr.Lawrence」も、聴き慣れているのに、しみじみと心にしみるものがあり、病気でやせ細った姿も相まって、切ない気持ちになった。そしてその翌日、新年度最初の宿直の夜に、「ライディーン」と「Merry ~」がエンドレスリピートしていた。

・今年度は、消防団がらみで2つのイレギュラーがある。1つは、8年ぶりに所属する消防部が「小型ポンプ操法」の大会に出場することになっていること。もう1つは、その消防部のトップである部長職を自分が務めることになったことだ。つまり、自分が部長として大会まで団員を率いなければならない。そのため、昨年末から大会に向けた計画の立案を始め、練習の日程や実施体制について多くの議論を重ねてきたし、実際の操法練習も先週から週2回ペースで開始した。自分は操法を披露する選手ではないし、現場での指揮監督は班長に委任する体制にしたので、週1での参加に止めるつもりだ(何よりアパートから練習場所に行くまでに車で15分もかかるので、毎回は到底無理だ)が、それでも朝5時台から集まって、1時間ほど活動するので、身体的に相当しんどいものがある。まだ始まったばかりだが、課題と不安だらけで頭の痛い案件だ。この練習に加え、部長会議など様々な消防関連の予定が入るようになったことから、この春から2019年以来4年ぶりに「ほぼ日の週間手帳」の使用を再開した。今までは「年単位」だったが、今回は「Spring」という「年度単位」のものを選んだので、来年の3月末まで使用可能だ。子供が生まれてからというもの、長いこと家庭最優先で家庭以外の用事は極力入れないようにしてきたので、手帳に自分で新たな予定を書き込んでいくのは何だか新鮮な感じがする。かつての習慣が復活したというより、1つの時代を乗り越えて、新たなフィールドに進んだような、そんな気がしている。

・今年は花見に行くことも無く、早々と桜が散ってしまった。例年よりずっと開花が早かったし、満開のピークと自分の休みが合わなかったので、タイミングを逸してしまったのだった。この桜の移ろいの早さを見るたび、毎年思うのは「自分は一体あと何回、桜を見られるんだろう」ということだ。桜は花としての美しさ以上に、儚さの象徴として、人の心を強く動かす。余命幾ばくか分からないからこそ、来年はきちんと花見に行きたいものだ。

・係長職は2年目に突入。初めて係に新採用の職員が配属された。大学を3月に卒業したばかりの新社会人だ。一から仕事のルールや心構え、ビジネスマナーやPCスキル等のテクニックも自分が中心に教えていくことになる。新人教育は自分にとって10年来のテーマであり、2年前に隣の席に新人くんが来たときから、将来を意識して試行してはいた。いよいよ来たなという感じで、戸惑い半分、楽しみ半分という心境だ。自分の仕事と並行してのことになるし、自分自身OJT(という名の放置プレイ)以外の教育はほぼ受けたことがないので、なかなか体系立てた教育は難しいが、多少お節介気味でもいいから、積極的な声かけやアドバイスを意識して実践していければと思っている。できれば1on1ミーティングとかもやってみたい。

・今年のスギ花粉の飛散量は、10年に一度レベルの多さだという。実際に外を歩いたりすると、尋常ではない「濃度」なのを実感するし、コロナ対策として以上に、花粉対策としてマスクはまだまだ外せないというのが正直なところだ。車の外装も花粉まみれだが、車内にも蔓延するから、車の運転中もマスクは外せない。外した途端に、くしゃみと鼻水と目のかゆみに襲われる。自分の花粉症は近年沈静化傾向で、もう耐性(?)が出来たんじゃないかと楽観視していた部分もあったが、まだまだ現役だったということを再認識させられた。花粉が収まって自転車に気持ちよく乗れるようになるのは、大型連休のころだろうか。

(120分)