イクシゴ論(5)「育児のコアタイムと深夜在宅ワーク問題」

年度末が近づくにつれ、契約の仕事は日一日と切迫度を増すばかり。予算執行期限の駆け込みで日常業務の発注作業も増えるし、それに比例して支払いの伝票処理も増える。次年度に向けた契約更新手続きなどの重たい仕事も山積だ。それに加えて、間の悪いことに数年に一度の外部機関による検査が年度明け直後に実施されることが決まり、その準備のための書類作成や資料の整理もやらねばならないことになってしまった。ダブルパンチ、トリプルパンチの猛攻を食らって、「毎日1時間の残業」では到底処理しきれない状況である。しかし、多くの職員が残業に勤しむ「残業のゴールデンタイム」である19~21時に、ほかの同僚たちと顔を並べて職場で勤務することは自分には絶対に不可能だ。なぜなら、この時間帯はちょうど「育児のコアタイム」であり、何があっても必ず在宅し、家事育児をしなければならないからだ。どんなに忙しくても、18時30分になったら空気を読まずに退勤するのが自分に課せられた義務である。


では、どうやって溜まりに溜まった仕事を進めるのか。この答えは一つしかない。すなわち、「深夜の隠れ在宅ワーク」である。Googleドライブにアップロードして持ち帰ったファイルを、自宅のPCで開いて作業し、上書き保存。作業が終わったら、そのファイルをまたアップロードし、それを翌日職場でダウンロードして事務フォルダに保存する・・・というのが典型的なパターンだ。VPN財務会計システムにアクセスすることはできないので、発注書や支払伝票の作成といった作業はさすがに職場でないと不可能である(この手の作業をどうしてもやらなければならないときは、まれに21時頃に職場に戻ることもある)が、エクセル、ワードでの作業であれば(自宅のPCのスペックの低さにさえ目をつむれば)どこにいようが問題なくできる。切羽詰まっているので、セキュリティがどうこうなどと悠長なことは言っていられない。だから、深夜22時~26時くらいまで自宅PCで残業し、仕事の遅れを強引に取り戻す荒技が横行することになる。上司に前日の帰り際に急かされた仕事について、翌日朝イチで完了を報告したりすることもあるから、さすがに上司もこの「狂気の沙汰」に気づいているはずだ。だが、空気を読まないのはお互い様、とばかりに、返す刀で新たな仕事をさらに振ってくるものだから、全くどうかしている。勤務間インターバルを無視しているので、睡眠不足とストレスの蓄積で疲労も倍増する。その上、妻には相変わらず「ただ働きだ」と罵られるのだから、泣きっ面に蜂とはまさにこのことであろう。働き方改革、働き方の多様化・柔軟化、子育て支援・・・そんなイマドキの概念は、モーレツ社員を美徳とする前時代の価値観にどっぷり浸かった自分の職場にはどこ吹く風といったところである。


心に寒風吹きすさび、一人、仕事の空しさにふさぎ込みそうになる残業中、唯一支えになるのは、音楽である。子どもの泣き声に気づけなくなるといけないので、iPodの音楽を小さい音量で再生し、ヘッドホンで聴いている。例えば、今夜はこんな曲に助けられた。

 

「悲しくてやりきれない」(コトリンゴ

「君住む街へ」(オフコース

「暴れだす」(ウルフルズ

 

不毛で救いのない、何ら根本的な解決に繋がらない「ヤミ残業」はまだまだ続く。しかし、自分が管理職になる頃には、こんな働き方が根絶された時代になっていて欲しいし、自分の手でしなければいけないとも思う。様々な矛盾に激しく悩みながらも、「これはいけないことだ」という意識は持ち続ける覚悟である。

 

(60分)

金曜の夜

金曜の夜は、1週間で唯一、自分の時間を作るために夜更かしをする。妻が就寝する23時頃がそのスタートだ。

 

この時間に、特に何かすると決めている訳ではない。むしろ、何もしないことのほうが多い。頭をある意味で空っぽにして、何となくダラダラと過ごすだけ。でもそれが、きっと、心の安定を保つために必要な時間として機能しているのだと思う。日々の生活に追われ、会社員として、父親として、夫として、それぞれの場面場面で自分に課せられた役割に徹することだけを必死で頑張っていると、いつの間にか本来の自分の姿を見失いがちだ。自分が本当にしたいこと、喜怒哀楽の感情、将来への希望…そうした心の声が聞こえなくなってくる。そうしたガチガチの心を解きほぐすために、何もせず、ただボーっとして、自分の声に耳を傾けるのだ。

 

さてこの時間、自分はテレビをつけることが多い。「ドキュメント72時間」や、「金曜日のソロたちへ」などの番組をなんともなしに見る。特に72時間は、定点カメラに切り取られた市井の人々の人間模様が、時代の映し鏡のようで引き込まれるものがあり、自分のお気に入りの番組である。この番組をいつから見始めたか覚えていないが、少なくとも2014年5月放送の「トランクルーム もうひとつの秘密の部屋」の回は見た覚えがある。また、読書会用の本を読んだり、スマホでネットサーフィンをしたり、自分にとって高級品である缶コーヒーで一服したりすることもある。そうして眠くなってきたところで、だいたい25時頃にベッドに入り、自分時間は2時間ほどで幕を閉じる。

 

かつてあんなにも喧しかった自分の心の声は、今やすっかり鳴りを潜め、ブログの奥深くに刻まれているだけの化石になりつつある。でも、それが完全に消えてしまったら、自分の心は死んでしまったことになるし、人間として生きる意味はなくなってしまう。それは避けねばならない。静かに自分ひとりになるこの「儀式」を通じて、自分の声が再び大きくなり、それがブログにまであふれ出す日が来ること。それが今の自分の、数少ない願いの一つだ。

 

(60分)

雪国レポート:2021/1/8-14

「顕著な大雪に関する気象情報」が発表される中、1月8日㈮から市内に降り始めた雪は、猛烈なスピードで積もっていき、またたく間に辺り一面を覆い尽くして景色を一変させた。帰宅の時間帯を直撃したことから、夕方から道路の渋滞、通行困難等の交通障害が発生。8日の市内中心部の24時間降雪量は103cmに達した。雪は9日から11日の3連休中も断続的に降り続き、1月10日13時時点で、市内中心部の観測点において積雪244cm(最高積雪は12日の249cm)を記録した。この降雪量、積雪量はいずれも35年ぶりの水準で、雪には慣れているつもりの自分でも面食らうほかない、文字通りの記録的豪雪となった。

 


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↑8日夜のドラレコ画像。道路脇の雪が土手のようになっている。

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↑11日朝の状態。


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↑11日午後時点、3日分の雪が積もった車。


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↑それを1時間がかりで掘り起こした後の状態。

 

市内の幹線道路は雪で車線が狭まり、どこもかしこも渋滞が続いている状態。自分はなんとか12日から車で出勤しているが、住宅街は遅々として除雪が進んでおらず、車通勤できずに徒歩で通勤している人も非常に多い。歩道は雪で塞がっているため、歩行者は道路を歩かざるを得ず、今朝時点でもなお、歩行者と車が1車線分しかない狭いスペースで行き交う危険と隣り合わせの状態となっている。また、郵便や宅配便の配達の大幅な遅延、流通の停滞によるスーパー等の商品の不足、学校の休校、店舗の休業や営業時間短縮、行政によるゴミ回収の停止など、市民生活には広範かつ甚大な影響が出ている。

 

この間に起きた様々な出来事については、とにかく枚挙に暇がない。車で雪を押しのけて無理矢理右折しようとしたら雪の固さに負けてシエンタの後部ドアが凹んでしまったり、新聞が3日間配達されなかったり、近所の民家が雪の重みで倒壊したり、出勤しても除雪と除雪機用の燃料調達で丸一日費やしたり、住宅街の狭い道を車で通り抜けようとしたら圧雪路の深い轍でスタック寸前になって肝を冷やしたり、などなど。短期間であまりにも色々なことがあり、できれば何かに記録しておきたいところだったが、除雪や移動に時間と神経を使ってしまい一日一日を乗り切るのがやっとだったので、あいにくそれは叶わなかった。

 

とにかくまだ何もかもが大変な状況にあり、この「豪雪災害」は現在も進行中である。自分も心身ともに余裕がなく、「降雪歓迎、豪雪勘弁」などとつまらない洒落を言うのが精いっぱいだ。早く平穏な生活を取り戻したい、今はただそう願っている。

 

(60分)

メメント・モリ(取捨選択 その6)

多くの人が予想だにしなかった困難に見舞われた2020年だったが、自分にとっては命を蝕む非常なストレスと日常的に戦い続けた1年だった。そしてそれは例年通りの1年ということでもあり、1年前に残り10年と宣言した自分の寿命は延びることなく、残り9年にカウントダウンが進んだのだった。

 

ラテン語メメント・モリmemento mori)、日本語で「死を想え」という言葉が、近ごろよく自分の耳元で聞こえてくる。常に来たるべき最期を見据えて、そこから逆算し、今やるべきことは何かを考えよ、と自分に促す。その声に突き動かされて、今年も多くのモノをネットで売却して手放し、取捨選択を進めた。バイオハザード10周年記念の予約販売の切手(2006年購入)、少年時代に蒐集していたテレホンカード30枚超(1998年頃〜2002年頃購入)などは思いがけない高値がついたし、ゲームボーイ専用のポケットカメラポケットプリンタ・通信ケーブル(1998年購入)など微額ながら買手がついたこと自体に驚いた品もあった。取っておいても使いどころがない、二度と使うことはないと思われるモノは、ヤフオク!とAmazonマーケットプレイスでどんどん売った。

 

その中で自分にとって最も大きな転機となったのは、PerfumeのCD/DVD/blu-rayをほぼ全て売却したことだった。アルバム、シングル、ミュージックビデオ、ライブ映像など約25枚ほどあり、一部は未開封のままのものもあった。Perfumeに心酔してこれまで発売のたびに買い集めてきたものだったが、この1年ほどの間に自分でもびっくりするほどPerfumeへの関心が薄れてしまい、このまま持ち続けても仕方がないと思って手放すことにした。20枚ほどはセットにしてまとめ売りしたのだが、手元に残ったのは1000円ほど。叩き売りといっていい状態だった。だが、売るのに決心はいらなかった。CDを手に取ってPerfumeのことを考えても、心が全くときめかなかったし、ライブ映像をもう1回観たいという気持ちも起きなかったからだ。Perfumeの名誉のために言えば、彼女たちの輝きは今なお眩く、素晴らしいアーティストであることに変わりない。だが、自分の目にそれが見えなくなってしまったのである。CDを手放したことで、自分はもはや名実ともに熱心なPerfumeファンの地位を失った。これが自分にとって今年最大の取捨選択であった。

 

掘り出し物の「鉱山」である実家の自室(今は母親に実効支配されている)にはまだまだ有望な鉱脈が残っている。しかし、余計なものはほとんど売りつくし、残るはいよいよ自分の核心に関わるものだけになってきた。今回のPerfumeがその第一号になった訳である。死ぬまでにもう一度それを楽しむことがあると思うか、パッケージをまじまじと見つめて心がときめくか…。それを基準にして、時に表皮を削る痛みを感じながらも、自分の本質を剥き出しにするような「自分を映す鏡」だけを手元に残していきたいと思う。

 

↑自分が唯一参加したPerfumeのライブ映像だけは、まだもう少し手元に残すことにした。

 

(55分)

待てば海路の日和あり

仕事と家事育児にただただ追われる毎日。子供と妻が寝たあと、23時頃になってようやくひとりの時間が訪れて一息つくものの、疲れ果ててコタツに入ったまま寝落ちするのがもはやデファクトスタンダードになった感がある。夜中に目が覚めてようやくベッドに入るも、仕事の夢を見たり、子供が泣いたりと波乱があり、熟睡できない上になかなか夜が明けない。きちんと眠れていないものだから、早起きするのも難儀で、朝は6時起床が関の山。結局、勉強も趣味も、スマホやPCでのネットサーフィンすらできずに次の日を迎える。そんなふうに一日一日を「やり過ごす」ような日々が、コロナ禍もなんのそのの順調さで、延々と続いている。時間感覚が麻痺してきて、自分の年齢や今年の西暦も、少し考えないと思い出せないような有り様だ。

 

自分の意志を二の次、三の次にして、マシーンのごときストイックさで自分の会社員及び父親としての役割に徹する日々。その繰り返しが、かつては確固として存在していたはずの自分の輪郭を、鉛筆書きの線を消しゴムでこするように段々と曖昧にしていく。自分は何者なのか、自分がしたいことは何なのか、そんなものがそもそもあったのか、よくわからなくなってくる。そうしてしばしば胸に去来するのは、無力感と無気力感だ。何もできていないし、何をしようという活力も湧いてこない。そんな人間として枯れた状態になりかけているような気がして、薄ら寒い気持ちに襲われる。

 

そんな自分のガラスのアイデンティティーを、落下して砕ける寸前で受け止めてくれるのは、過去の記憶である。友人との思い出、旅をした経験、趣味を通じて拡がった世界、これまでの人生で出会った素晴らしい映像・音楽・文学作品など、過去の自分が足で稼ぎ積み上げてきた財産が光を放ち、自分の足跡を照らし出すことで、自分という人間が確かに存在することを再認識させてくれる。それでどうにか自分を取り戻すことができている。だから、今の自分の最大の恩人は、過去の自分自身だと言えるし、過去の肯定はすなわち、その結果としての今の自分の肯定にもつながっていくことになる。

 

だから、独身社会人時代に色んなことにお金と時間を使うことは大事なことなのだと、できることなら弟に説教してやりたいものだ。ただ実家暮らしの弟とは年に数回しか言葉を交わさないし、ましてや意味や目的を持った会話など一切しないから、その機会が訪れることはない。男兄弟なんてのは、大概そんなものだろう。今は過去の自分の力を借りて次の飛躍に備える、雌伏の時。待てば海路の日和あり、なのだ。そう固く信じて、たとえ足踏みをしていると感じても、視線は前に、遥か水平線の彼方に向けていたいと思う。

 

(60分)

初雪2020-2021

昨日から今朝にかけて、市内の平地で今冬初の積雪があった。雪は今日の日中もしんしんと降り続け、積雪は午後には20〜30cmに達した。早くも極端な少雪(というよりほぼ無雪)だった昨冬の最高積雪を超えたと、地元民がヘビーユースするネットニュースサイトの記事には書かれていた。先月末に新しいスタッドレスタイヤに履き替えたシエンタにとっては、初めての雪道デビューである。昨年買い替えたスノーブラシも、ようやく活躍の出番がきた。FF車の宿命で雪の段差に弱く、今朝はアパートの駐車場から隣接する道路に出る際に前輪が空回りして随分苦労した。最終的には勢いをつけて段差を乗り越え、いつも通りの時間に出勤できた。

 

周りの同僚たちは、雪なんて嫌だ嫌だ、山だけ降ればいいなどと身勝手なことを今年も相変わらず口にしている。だが、自分は正反対に、雪が積もらないならば、この地方都市に住む意味がないとさえ考えている。雪に覆われた冬の山々と大地は美しく、季節の移ろいをはっきりと見せつけてくれる。そして春には豊富で澄んだ水が、田畑を潤し多くの恵みを与えてくれる。何より、雪があるからこそ、スキーや雪遊びが楽しめる。こんな体験ができるのは、雪が積もる地方の住民だけの特権である。これを味わえるメリットを思えば、雪かきだのタイヤ交換だのといった手間は全く苦にならない。地元であるこの街で冬に雪が降ることは、自分にとってアイデンティティの一つといってもいいほど、大切なことなのである。だから、自分はこの降雪を歓迎しているし、更に積もることを心待ちにしているのである。

 

自分のような人種は、この地方では少数派だろう。でも、少なくとも子供は自分の仲間であり、降り積もる雪を前にして早く遊びたいとはしゃいでいる。すでに子供のスキーウェアとソリは用意してある。今週末は地元のスキー場に連れていき、子供とソリ遊びをして楽しんでくるとしよう。

 

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12月16日朝の様子

(30分)

 

手荒れvs手指消毒

肌が弱い自分は、子供の頃から冬場の手荒れに悩まされてきた。乾燥で指の関節部分がぱっくり割れて、いつの間にか出血してしまうのである。ささくれが裂けて皮がむけてヒリヒリするのも日常茶飯事だった。それがこの2、3年、家事育児に勤しむようになってからはますます酷くなった。原因は単純、「水回りの仕事が多くなったから」だ。皿洗い、風呂掃除、トレイ掃除、台所シンクや洗面所の掃除といった典型的な水回りの家事はもちろん、子供の洗髪・入浴も自分の専任事項だ。ゆえに水に触れて手の脂が落ちる頻度が高まるから、どうしたって手は荒れる。まだ冬本番ではない11月の現在でも、すでに「ぱっくり割れからの自動出血」が頻発しており、手には常に絆創膏が欠かせない。手荒れに無縁な人から見れば、勝手に指から血が出るなんてスプラッターでショッキングな話だと思われるだろう。長年この現象と付き合ってきた自分にとっても、Yシャツを着るときに血が付かないか、書類に血が付かないかといちいち気にしなくてはいけないので、本当に厄介だし、頭の痛い問題である。

 

これに追い打ちをかけているのが、コロナ禍で日常化した「手洗い」と「手指消毒」である。以前なら、石けんで手洗いをする場面と言えば、トイレ後、食事前、帰宅後くらいだった。これがことあるごとに、しかも今までよりも念入りに、手洗いしなければなrなくなったものだから、手荒れは加速する一方だ。その状態で、店舗の入り口でアルコールを手に塗り込むことを求められると、目も当てられない事態になる。ぱっくり割れの傷口にアルコールが染みこんで、激痛が走るのである。阿鼻叫喚とは、まさにこのこと。店に出入りすることが、すっかり「恐怖」に変わってしまったのだった。

 

もちろん自分も全く対策をしていないわけではない。皿洗いのときにはビニール手袋を両手にはめるようにしているし、お湯よりも手に優しいという冷水を使うようにもしている。寝る前にはハンドクリーム(10年前に買ったアベンヌのコールドクリーム)をたっぷり手に塗り込んで保湿にも努めている。それでも、食べ終わるのが遅い子供の食器、頻繁に使うマグカップなどはついつい手袋なしで洗ってしまうし、子供の入浴時に手袋をつけるというわけにもいかない。そのため、現状の対策では手荒れの進行を食い止め切れていないのが実状である。

 

手荒れは例年、11月頃から4月頃まで約半年もの長きに及ぶ。手指消毒という強敵も加わり、新たな対策が急務である。厳しい戦いの日々は、まだ始まったばかりだ。

 

(35分)