ほぼ日手帳2021

f:id:ryuck99:20201120063227j:plain

気がつけば今年もあと1ヶ月ほど。そう思って先日ネットで慌てて注文したのが、来年の「ほぼ日手帳」。今年はカバーを買わないつもりだったので、手帳本体のみロフトで買おうと思ってのんびり構えていた。だが、たまたまなのか、在庫切れなのか、先々週に店舗に行ったときには、店頭に置いていなかった。それで、今年もやっぱり、ほぼ日公式サイトで買う運びとなったのだった。今回も、手帳本体のほかに、気になった文房具などの関連グッズも併せて購入した。「テキストサーファーゲル」は裏移りしにくいという触れ込みの海外メーカーの蛍光ペン。仕事でよく使う黄色とオレンジの二色を試しに2本ずつ買ってみた。「ちびまる子ちゃん四コマ漫画一筆箋」は、ちびまる子好きの妻を念頭に買ったものだが、クリスマスプレゼントにするか、自分から手紙を書くときに使うかは、まだ考え中だ。いずれにしても今回もよい買い物が出来たと満足している。相変わらず、手帳の使用頻度はさっぱり向上せず、ほとんど白紙の日が続くが、それでも「書きたい」と感じた瞬間に書き付けられる記録先は、この手帳以外に考えられない。趣味や所有物の取捨選択はどんどん進んでいるが、手帳が最後の最後まで残り続けるものになるであろうことに、今のところ疑いの余地はない。今年は誰にとっても、予想も付かなかった大変な1年だったことだろう。だが来年は、プラスの意味で予想を裏切るような1年であって欲しい・・・。手元に届いた来年の手帳を見つめつつ、そんな願いを込めたのだった。

 

(25分)

無念

2020年はまだ2ヶ月残っているが、自分の中の「今年の最もがっかりしたニュース」はすでにこれに決定している。

https://www.japannetbank.co.jp/company/news2020/200731.html

2021年4月5日付けで、ジャパンネット銀行がPayPay銀行に商号変更するというニュースである。このあまりの「ダサさ」に、筋金入りのJNBユーザーである自分は、激しい憤りを感じた。思えば、2000年の開行からわずか3年後、高校1年で15歳だった2003年にヤフオク!(当時はヤフーオークション)を利用するために口座を開設したのが、JNBとの出会いだった。その後も、2010年には10周年イベントに参加するためわざわざ東京まで行ったり、サッカーくじの定期購入サービスを利用したりと、長らくメインバンクとして17年以上も重用してきた。この銀行名は進取の気性の象徴であり、周りの誰よりも早く使ってきたことが自分の誇りの一つでもあった。だからJNB知名度を上げるべく、これまで職場で給与口座に登録してみたり、パソコン、スマホから全ての手続きができる利便性の高さを人にアピールしたりと努力してきた。なのに、あっさりと名前を変えるとは一体何事だ!・・・と不満と不信を抱かずにはいられなかった。

 

ジャパンネット銀行の名前が消えることへのショックは、まだ癒えない。ただ、今は憤りよりも無念さが強くなってきている。あり得ないとは思うが、それでもなお、名称変更しない方向に戻ることを密かに願っている。

 

(30 分)

続・卒アル

2018年1月に宣言したアルコールからの卒業、すなわち「卒アル」は、順調に定着してきている。飲酒した日に手帳にメモすることにしている「D」=drinkの記号を拾ってみると、2018年が56回、2019年が28回と1年で半減し、2020年に至っては11月8日時点で7回と激減している。今年は職場の飲み会がコロナ禍で一度も開かれていないし、友人との飲食もなく、自宅での晩酌も皆無だった結果、アルコールを飲む機会がほぼゼロになったのだった。アルコールの濃度ベースで考えたら、今年は経口摂取した量より消毒のために手に擦り込んだ量のほうが遥かに多いのは間違いない。

 

飲酒頻度がここまで減ると、どういう状態になるのかを分析してみよう。

 

第一に、酒を飲みたいと思う気持ちが完全に消滅した。スーパーやコンビニで酒を見かけても、飲食店で料理を食べていても、ビールのCMをテレビで見ても、心は微動だにしない。酒を飲むという発想が生まれないし、おいしそうとさえも思わない。これはもしかすると子供のころの心理に近いのかもしれない。どんなに喉が乾いても、味の濃い料理を食べても、子供のころはそれで酒を飲みたくなることなどなかった。飲んではいけないのは当然だが、それ以上に「飲まないのが自然」だったからだ。あるのは知っていても、必要性を感じないというか。今の自分は全く飲まない状態が当たり前になってしまったため、仮にお酒が視界に入っても、それに手を伸ばすという「不自然」な行動が選択肢に登場することは一切なくなった。

 

第二に、ちょっとでも飲むと心身のバランスを崩すようになった。妻の実家に泊りがけで遊びに行ったときや、妻の実家の家族が訪ねてきたときなど、お義父さんとの付き合いでお酒を飲む機会は今年に入り数度あった。しかし、摂取量の多寡に関わらず、ビールや日本酒を飲むと腹の調子があまりよくなかったし、飲んだ瞬間は一時的に少しだけ気分が高揚しても、直後にドーンと気持ちが滅入るようになった。それはちょうどローラーコースターが上がってから下るのに似ている。長引くコロナ禍で、心の見えないところに実は色々影響が及んでいて、それが飲酒した拍子にバランスを崩して表に出てくるのではないか。自分はそんなふうに疑っている。

 

第3に、酒を飲んでも特に楽しくもなく、おいしいとも思えなくなった。これは文字通りである。

 

こんなことから、卒アルはますます進んでいる。来年はとうとう丸一年飲まない年になるかもしれない。体が受け付けなくなってきたので、お義父さんとの飲食の際でさえも今後は飲食を辞退することを真剣に考えているほどだ。日本の飲酒人口が、こうしてまた一人減ろうとしつつあるのであった。

 

(70分)

老化の波

子供の目覚ましい成長ぶりには、日々驚かされるばかりだ。食事のときの箸の使い方も、家の階段の上り下りも、三輪車の漕ぎ方も、特に教えたこともないのに気付いたら自力で身に着けてしまっていた。食器棚の扉を開けられないように取り付けたベルトタイプのストッパーや、チャイルドシートのベルトまで自分で外せるようになっていたのだから、「自分で!」という子供の口癖の有言実行っぷりには全く恐れ入る。


なんと言っても一番驚いたのは、トイレでの排せつの習得のスピードだった。今年6月にトレーニングパンツを買って、家でのトイレトレーニングを始めたところ、「お姉さんパンツだ!」と言って喜び、自ら進んでパンツを履くようになった。するとそれまで常にオムツで用を足していたのが嘘のように、日中はおろか睡眠中でさえもパンツ・オムツを履いた状態で漏らすことがほとんどなくなり、自分でトイレに行って用を足せるようになった。補助便座とステップも大人のやることを真似してすぐに自分で取り付けられるようになったものだから、器用なものだと感心した。そして、半年くらいかかるのではないかという自分と妻の予想を裏切り、3歳になるのとほぼ同時にわずか1ヶ月ほどで完全にオムツはずれができたのだった。その後も現在までリバウンドもなく、せいぜいたまにおねしょをしてしまうくらいで、パンツスタイルは完全に定着。オムツはずれまでの親の側での苦労は、ほとんどゼロだった。これにより月4000円ほどかかっていたオムツ代が浮き、ゴミの量も大幅に減ったほか、子供を連れて外出する時の荷物の種類も少なくて済むようになるなど、日常生活に大きな変化が生じた。買い置きしていたオムツの在庫は今も家の中で眠っているが、近いうちに保育園に寄付するつもりだ。保育園の協力があってこその成果であることは間違いないので、少しでもその恩返しになればと思っている。


そうした子供の成長と好対照なのが、最近の自分自身の心身における衰えの加速である。例を挙げればこんな感じだ。

・デコボコや段差の何もない廊下で足のつま先が突っかかって、歩行の途中でバランスを崩しそうになる。爪先の長いビジネスシューズのときはもちろん、スニーカーを履いていても、「何物か」に引っかかる。

・廊下の曲がり角や部屋の出入り口を最短経路ですり抜けようとしたところ、頭の中でのイメージ通りに体がついてこず、肩や足を壁等に思い切りぶつけて痛める。

・掴んで持ち上げたものをちゃんと掴めておらず、床や机の上に落っことしてしまう。それが飲み物の入ったコップだと悲惨なことに。

・あらゆる対策、努力にも関わらず頭髪の希薄化が進行する。

・サイクリング中、20代の頃は普通に走っていても気付くと後方に千切ってしまっていた年上の同僚に、今は全力で漕いでいても置いていかれてしまう。

・とにかく風邪を引きやすくなる。特に子供が鼻水を垂らし始めると絶対に伝染る。しかも子供は翌日には治るのに、自分は一週間以上経たないと治らない。

・子供の頃は当たり前に出来た公園の雲梯をやってみたら、今は一つも前に進めないどころか、ただぶら下がるのもしんどく、即リタイア。 

・20代のころはほぼ皆無だった頭痛が、仕事に疲れてくる平日夕方に頻発するように。

・体が「元気だ!」と心から実感できることがない。常にどこかしらの調子が悪く、それにつられて気分もあまり晴れない。

…と、ちょっと思い付いただけでもこんなに挙がるような体たらくで、全く情けない限りだ。内閣府の定義では確か34歳までは若者に含まれるはずだから、32歳11ヶ月の自分はまだ堂々と若者と名乗っていい年齢と言えるのだが、この有様ではとてもそんなふうには胸は張れそうにない。とにかく、持久力、瞬発力、バランス感覚、それに加えて見た目の印象といった部分で、衰えが甚だしいのである。残念なことこの上ない。


限られた時間の中でできる対策としては、子供と一緒に全力で遊び、それをトレーニングとして生かす、これ以外にはないと思う。子供の体力は無尽蔵だから、付き合う大人にも当然高い体力が要求される。今はおんぶ、高い高い、お馬さんといった要求に全て応え切れず、途中でドロップアウトしてしまっているが、これをトレーニングだと思って、もう少し限界近くまで頑張ってみるのだ。そうすれば少なくとも、次第に筋力と体力だけは向上することが見込まれる。瞬発力や見た目は、もう今更どうにかできるものではないので、この際いっそ諦めるのも肝心だ。さして残り長くもないだろう人生をより有意義に生きるために、怒涛のごとく押し寄せる老化の波に対して、どの部分では抗い、どの部分ではあえて受け入れるのか。今まさに、取捨選択の岐路に立たされていると感じている。

(90分)

FB2007/4:ヨッシーアイランド 完全クリア

2007年 4月 24日 (火)

 

昨年の5月に購入したGBAスーパーマリオアドバンス3。 ここに収録されたヨッシーアイランドは元々スーファミのゲームであり、それは僕がスーファミを買ってもらって2番目に手にしたソフトだった。 小4のころだったか、自分と親とでお金を半分ずつ出し合って購入したが、自分では中々進められず、すぐ近所に住む友達のお兄さんのところに持っていってワールド6まで進めてもらうという、今考えればプレイを楽しむという行為を無視した幼稚な行いをしたものの、結局その後別の友達の聖剣2と交換してしまった、様々なエピソードに富んだソフト。 つまり僕にとって、ヨッシーアイランドというのはとても思い入れのあるタイトルなのだ。しっかりとプレイし直したい。そういう思いは、移植版であるスーパーマリオアドバンス3が発売された 2002年当時からあったが、高校受験などでその存在を頭の隅によけておいたままいつの間にか長い間記憶の中に埋もれさせてしまっていた。

 

それがようやく購入するまでに至ったのが昨年5月。 その移植版ヨッシーアイランドを僕は昨年から断続的にこつこつプレイし続けていた。そして先週ラスボスのベビークッパを倒してエンディングとスタッフロールを目にし、その後も各ワールドのスペシャルステージやGBAで追加されたひみつステージを攻略し、今夜とうとう僕は念願の瞬間を達成するに至った。 すなわち全6ワールドに各10ある計60ステージを、全て100点満点クリアしたのだ。その証拠がこの写真である。


f:id:ryuck99:20201002234423j:image

6つの星は6つのワールドで1000点を達成したことを示し、№901は最後の100点を取ったのが901番目のヨッシーであったこと、すなわち900匹ものヨッシーが犠牲になったことを示している。 自分でも恐ろしくなってしまうような数だが、これらのヨッシーの半数以上はおそらくスペシャルステージかひみつステージで命を落としている。それほどまでにこれらのステージは過酷だった。またその満点クリアまでにかかった時間は計り知れないほどに長かった。


僕は出来るだけ自分の力のみで攻略しようと心がけたのだが、残念ながらひみつ5および6だけは、何時間やっても満点にすることが出来ず、ネットの力を借りてしまった。だがその残念さを一切吹き消してしまうほどの喜びと達成感が、6000点完全クリアの実現を見たとき、僕に訪れたのだった。


ゴール直前での奈落への落下、ゴールまで来て発覚した赤コイン・フラワーの取り忘れ、同じところで何度も何度も表示されるリトライ画面・・・。 コースの随所にちりばめられた、とことん作りこまれた絶妙にいじわるな仕掛けの数々に、時には怒り狂いそうにそうになったことや、あきらめかけたこともあった。だが、そんなことも今となってはとても穏やかな気持ちで振り返ることが出来るのだから、全く不思議なものだ。


完全クリアと同時にヨッシーたちの喜び合う映像と共に表示されたのは以下のような文章だった。


「みごと かんぜん クリアです
ヨッシーアイランドで かつやくした
だい 901 ばんめの
ヨッシーです!」


そして最後にベビークッパの一言が。


「お・わ・り でちゅ!」


これで僕の10年にも及ぶヨッシーアイランドをめぐる冒険は、その幕を閉じたのだった。めでたし、めでたし、っと。

 

(原典:初代ブログ)

 

*フラッシュバック 第10回*

7年ぶりに過去記事振り返りシリーズの続編を書いたのは、このとき熱く語ったゲームソフトのヤフオクでの売却が決まったからだ。最近は、過去に買い集め、長年大事に保管してあったゲームソフト、ゲームグッズ、エアガン、書籍などをどんどんネット等で売却し手放している。自分の身辺整理と、小遣い稼ぎが目的だ。今回は特に思い入れのあるタイトルを手放すことになったので、その思い出を振り返るとともに、気持ちをきちんと整理しておきたいと思い、こうして取り上げることにした。過去記事の中に、自分の忘れかけていた記憶や全面クリアのために捧げた一方ならぬ情熱を確かに感じ取れたので、気持ちの整理はついた。これで躊躇いなく「商品」を出荷できそうだ。

 

ただ、こうしてきちんと過去と向き合えるケースは稀だ。大半の場合、特に過去に書き留めたものもなく、新たに書くこともないまま、モノとともにそれにまつわる記憶も手放すことになる。モノが少なくなってスッキリする気持ちが半分、これまでの自分の足跡をたどるピースが欠けることへの寂しさが半分といったところで、正直言って複雑な気分である。でも、過去をいつまでも、いくらでも持っていけるほど、おそらくこの先の道は長くも平坦でもないだろう。今はただ、前だけ見つめて、ドラスティックにさらなる取捨選択を進めることにする。

 

(30分)

国勢調査2020

先日、帰宅したら郵便受けに国勢調査の調査用紙が投函されていた。いよいよ来たかと思って、すぐにスマホでウェブ回答。家族3人分の回答はわずか15分ほどで完了し、あまりにあっさりした中身に拍子抜けしてしまった。

 

f:id:ryuck99:20200922060227j:plain

 

今回は結婚して世帯主となってから初めての国勢調査であり、自分自身で回答する初めての機会でもあった。それゆえにきちんと回答しなければという責任感を強く持っていた。だが、回答内容が住所、氏名、生年月日、職業といった何かの懸賞に応募するときに訊かれるレベルの単純さで、質問項目もあまりに少なかったものだから、果たしてこれで政策作りに必要なデータが作れるのだろうかと心配になってしまったのである。

 

この調査から分かる一つだけ確かなことは、今の日本政府は国民の現住所、氏名といった最低限の基本情報すら持ち合わせていないということだ。政府自身がデータを持っていなくても、少なくとも自治体のデータと連携できていれば、今回の調査で住所、氏名などを直接ベタ打ちする必要はなかったはずだ。それができていないのは、マイナンバーによるデータ連携がてきていないからであり、おそらく国勢調査マイナンバーを組み合わせて活用することがそもそも制度上想定されていないからである。行政がアナログ過ぎるがために、たったこれだけの調査のために全国で膨大な事務コストをかけざるを得ず、その反面回答率は回を追う毎に低下してきているという事実に、憤りを禁じ得ない。

 

したがって、自分から提案したいことは2つ。一つは自治体が持っているようなデータは改めて入力しなくて済むように、マイナンバーを使って政府・自治体間でデータ連携を進めて初期状態で自動入力欲しいこと。もう一つは回答したら買い物クーポンが出るとか、税金が100円下がるとかいった方法で、回答することに具体的なメリットを与え、回答率を上げる工夫をすべきこと、である。次回までの何らかの改善を期待したい。

 

(20分)

寝落ちは打首獄門

誤解を恐れずにあえて極論すれば、家の外はこの世、家の中はあの世である。なぜなら、社会通念上の一般的な感覚や情状酌量が一切適用されない超法規的な断罪が行われる地獄が家の中には待ち受けており、時として死よりも重く苦しいほどの残酷な刑罰を課されるからである。

 

例えば、家における最も重い罪の一つとして、子供の寝かし付けにおける「寝落ち」が挙げられる。寝かし付けでは、最初こそ自分と妻の両方が子供と一緒に寝室でベッドに寝転がるが、子供がうとうとしてきた段階で、妻はテレビを見るためリビングに戻る。このあと、子供が完全に寝たのを確認して退室、一定時間経過後に子供を抱きかかえて子供用のベッドに移動させるまでが自分の仕事である。リビングに戻ってからは、今度は肩もみや耳かきなどの妻の寝かし付けミッションに専念することが求められる。ただ、家があの世であることを忘れて油断すると、うっかり子供の寝かし付けの途中でそのまま寝てしまうことがある。この寝落ちが大体21時50分を過ぎて継続すると、地獄の門が開き、身の凍るような恐怖が襲いかかってくる。その幕開けを告げるのは、眠りをかき消す大きな物音である。ドアが勢いよく閉まる音、物が投げつけられる音、罵声、皿が割れる音などだ。この物音に気付いて目が覚め、慌ててリビングに駆け付けたときには、時すでに遅し。一審かつ結審の裁判所で、被告不在のまま自分の死刑判決は確定されてしまっている。取り返しの付かない事態を招いたことを痛感したところでもう全ては後の祭りだ。般若と化した妻から浴びせられる怒涛のごとき罵倒で、自分の精神は完膚なきまでに粉砕されることになる。その人格攻撃の苛烈さは筆舌に尽くし難いが、判決の主文としては、「子供より先に寝ることに神経を疑う。どんだけ能天気で単純なのか。子供より幼稚なのではないか。」という主張と、「何回同じことを繰り返すのだ。毎度これだけ怒られても全く反省、改善する気がないのか。」という主張の2つに集約することができる。謝っても、弁解しても判決は覆らない。まして「怒るまで待つ前に、一言呼びにくればいいだろ」などと反論などしようものなら、火に油を注ぐどころか爆弾に火炎放射のごとき大爆発を招くことになる。21時30分に鳴るアラームをかけて対策していても、自ら止めたり、気づかなかったりすることがあり、寝落ちを完全に防ぐことは困難だ。寝転がらずにベッドサイドに腰掛けるだけに留めたり、立ち上がってみたりしながら、疲労でパワーアップした睡魔との間で毎回ラスボス戦のごとき激しい攻防を繰り広げてはいる。しかし一旦寝落ちしてしまえば、その結果が全てであり、寝落ち防止の努力といったプロセスなどはもはや関係ない。最終的に寝室の枕と布団を部屋の外に投げつけられ、自分は心神喪失状態で立ち尽くすことになる。これにより被るダメージは、この世の日常におけるあらゆる悲劇や災難よりも遥かに重い。日常に生じる出来事にも関わらず、度合いが次元を3つくらい超えている。冗談ではなく、自分の死よりも辛いとさえ感じる。それゆえ、家の中はあの世、なのである。

 

寝落ちによる打首獄門のような刑罰は、妻が機嫌のよい平和なときほどむしろ起こりやすい。原因は、平和だと「妻を寝かし付けるまでが仕事」という大前提を失念して、日中の勤務に精を出して体力を使い果たすとともに、帰宅後に必要な緊張を解いてしまうためである。どんなに機嫌がよくても、寝落ちのような失態が看過されることは絶対にありえない。なぜなら、妻の採点基準において、自分の努力による加点は数点だが、ミスによる減点は数百万点に達するからだ。加点が数十点貯まったところで、わずかな手違いがあれば一発アウト。ジェットコースターのごとく即座に奈落の底に突き落とされる。機嫌のよいときほど、油断は起こりやすいし、その急変により自分が受けるショックも大きくなる。だから、家にいるときは常に危機に備え、決してリラックスすることなく、緊張感を持ち続けるようにしなくてはならない。そのため、日中の仕事での体力消耗をどうにか抑制しなければならないのだが、しかし高度な集中なくして毎日残業無しで仕事をこなすのは難しく、一方で早く帰るために集中力を使うと体力を消耗してしまうという矛盾があり、今のところ根本的な解決策は見つかっていない。要するに体力が持たないのだ。これが、自分が何度となく打首に処されてしまう構造的な要因となっている。

 

こうした構造的な問題に対して、家はあの世、という精神論で緊張感の保持を目指すのは、場当たり的な対応でしかない。根本的な解決策としては仕事の大幅な負担軽減を実現するほかないが、それは到底現実的ではない。いつか、家で心からリラックスできる日は訪れるのだろうか。今はまだ、夢のような話である。

youtu.be

(120分)