春の憂鬱

3月に入り早1週間。平地の雪はすっかり消え、少し前まで雪原だったはずの田んぼも、今では茶色い土を露わにしている。アンダーシャツの上に長袖シャツ1枚を着ただけの姿で、ゴミ出しのため外に出た今朝。まったく寒さを感じず、むしろ暖かいほどの外気温を全身に感じ、はっとして立ち止まった。「ああ、これはもう完全に、春が来たな」と。

 

春は、事務職員にとって1年でもっとも忌むべき季節だ。なぜなら、年度末と年度初めという業務の繁忙期、そして定期異動の時期だからだ。自分自身もまさに今、年度末の荒波にもまれ、心身共に疲弊の極みにある。この1ヶ月で体重は3kg減り(より正確には、最初の1週間ほどで61kg台から58kg台に減少し、その後58kg台が定着)、持ち帰り仕事で睡眠時間は削られ、夢の中でも職場らしき光景や同僚が登場するなど、緊張状態が常に続いていて、先の記事の時のような心のゆとりは到底もてそうにもない状況だ。勢い、コーヒーによるカフェイン摂取が頻繁になるし、自分にとって疲れのバロメーターである「無意識に呼吸を止める癖」の発動回数も増える。「このままでは持たないな」と思いつつも、ネガティブなサインをできるだけ家族や同僚に気づかれないように、心配や不安を感じさせないように意識して、今のところは種々の問題・影響を自分のセルフマネジメントの範囲に収めるように努力をしている。年度末は無論、好まざる・好まれざる存在である。だが同時に、事務職員としての真価、底力が最も問われる正念場でもある。どんなに先延ばしにした仕事、頓挫しかけた仕事、他の人たちが忘れている仕事でも、年度末でしっかりと会議や決裁のプロセスを踏み、文書なり規程なり制度なりの「形」を整え、「区切り」をつけることができれば、最終的には完結・達成したことにできるからだ。年度末はピンチである反面、最後にして最大のチャンスでもある。ここでキレイに片を付けられるかどうかが事務職員としての腕の見せどころであり、事務仕事の大きな醍醐味でもある。困難だからこそ、燃える・・・そうした逞しさを持つ職員が多いほど、事務組織は盤石になると自分は考えている。

 

それはさりとて、この1年を振り返ってみて思うのは、「出向先の今の職場に、心の底まで適応するのは、どうやっても無理」ということだ。所掌している仕事の内容、役職上の責任範囲、仕事の回し方、人間関係などなど、日常的に負担感や問題点、違和感を覚える部分は今でも山ほどあるが、究極的にはこれらのストレスの原因は「適応不能」のただ1点に尽きる。つまり、「郷に入っては郷に従え」が実践できないから、無限のストレスを生み続けているということだ。「おかしいと思ったものを、自分の手で変える」という自分のポリシーを貫こうとすればするほど、仕事の負担は増えるし、かといってそれを諦めたら、職業人として最も重要な自分の矜持を失うことになる。そのジレンマから来るストレスのために、シフトが休日の日でも、心が休まることはない。1年経っても不適応なのが、今後劇的に改善することはないだろう。そう考えると、原則である「3年間の出向」はあまりにも長く、この先がただ苦しい日々にしか思えなくなってしまう。だから自分は、出向期間を3年から2年に短縮するほかに、もはや自分のメンタルを保つ手立てはないという結論に至った。今後、出向元の大学にかけあい、出向先の今の機関にも訴えて、それを実現したいと考えている。この年度末になって「4月で戻りたい」はどだい無理だし、そんな身勝手を言うつもりもない。たった1年で「放り出した」と言われるのも甚だ心外だ。自分自身、今年度やりかけや未着手のままになっていることを、もう少し時間をかけて形にしたい気持ちもある。だから、「あと1年」だけ頑張ることにしたいと思ったのだ。1年後はちょうど子供の小学校への進学の時期にも当たる。小学校に上がれば、保育園と違ってカレンダーの融通も利かなくなる。すでに破綻を来している今のランダムシフトの働き方を捨て、規則正しい生活リズムに復帰するには、必要かつ適切なタイミングだとも言えるだろう。現時点ではまだ何の目処も立っていない、自分の中だけの勝手な願望ではあるが、そういう見通しを持てば、だいぶヒビが入ってきた心の柱をもうしばらくは維持できそうな気がしている。

 

メンタルがダークサイドの引力に巻き込まれるか、形にする達成感が仕事への前向きを再び高めるか・・・。うららかな日差しの下、春の陽気に包まれる窓の外の景色とは対照的に、休日の自宅で一人、今日も自分はギリギリの戦い(在宅ワーク)を繰り広げている。

 

夕暮れ時、日に日に長くなる日照時間も、春を強く実感させる。

(90分)