pomera(ポメラ)処分

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2009年1月に購入したキングジムのデジタルメモ「pomeraポメラ)」DM10を廃棄処分することにした。09年当時の購入価格は24800円、落下してキーボードを破損し、同年10月に有償修理した際の修理代が約14000円だから、トータル4万円近くも投資した、超高額な「メモ帳」である。本当は継続して使うか、あるいは売却するかしたかったが、数年ぶりに箱から出してみたところ、経年劣化で生じた加水分解で本体表面がベタベタの状態になっていた上に、本製品の命であるキーボードのヒンジ部分が破損してしまっていて、キーボードを打つこともままならない有様だった。外箱、取扱説明書と一式で「ジャンク品」としてヤフオク!に出品することも考えたが、二束三文の値段にしかならず、自分が出品・出荷する作業の手間賃(=機会費用)のほうが高く付くのは明らかだった。それで、廃棄せざるを得ないという結論に至ったのである。

 

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↑表面は天板とキー部分以外すべてベタ付いている上、写真右下のヒンジが使用不能に。

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とはいえ、このポメラ、個人的な思い入れは相当強いものがあった。確かPC雑誌か何かの記事で紹介されていたのが最初の接点だったと思う。ネットにも繋がらなければ、電子辞書機能もない、付加機能と言えばせいぜい時計がついているくらいという、当時多機能を競っていたガラケーの正反対ともいえる「単機能」を追求したコンセプトに、強く衝撃を受けたのを覚えている。その後のシリーズ展開で色々機能付加も試みられたようだが、初代のDM10は純粋な「メモ帳」で、記録魔の自分のために開発されたかのような尖ったガジェットだった。

 

現在、データとしてパソコンに残っている、ポメラで作成されたテキストファイルは、約80点。そのうち、09年1月~11月の間に作成されたと思われるものは70点で、この期間に利用が集中しており、2010年以降はほとんど使われなくなっていた。09年は自分が大学3年生から4年生だった時期であり、この1年間に自分はポメラを日常的にバッグに入れて携帯し、非常に濃くヘビーユースしていた。日記として、読書メモとして、授業ノートとして、面接対策の自己分析として、何でもありの落書き帳として、ポメラは非常に便利だった。残されたテキストの数々には、就活まっただ中の当時の鬱屈とした心境や怠惰な生活がありありと見て取れる。特に、ある意味での白眉と言えるのは、日記として残されたテキストだ。以下にその一例を挙げてみよう。

 

 2009年5月13日

俺が明後日の初めての面接について不安を語ったことを発端に色々話した結果、Y氏を面接官にして模擬面接をすることになった。18時まで勉強、夕食は○○屋で結婚だとか子供にはどう教育を施すかだとか、現状から将来のことまで結構色々話をした。俺はこういう系は今まであまり考えたこともなかったし、具体的な願望は抱いてなかったんだけど、Y氏はかなり熱心らしくて、俺が女に全然興味ないっていうことを述べると驚くと同時に、就活終わった後は俺を改造して合コンするだとか言い出した。何度も言うからには結構本気なのかもしれない。俺は婚活なんてまだするとは決めてないからな。19時過ぎから、流れで21時過ぎまで、××というカラオケで模擬面接をした。といっても実質面接のことをテーマにやりとりしていたのは1時間で、本当の面接のつもりで俺が話してたのは15分くらいだったんじゃなかろうか。初っぱなの志望動機から色々だめ出しされて、具体的なテクニックだとか、話す内容における着眼点、心構えとかを、随時面接を停止しながら教えてもらったので、2月のときのような、実質的な面接形式でのものではなかった。しかし、やってみて声一つでもすごく難しいということが分かったし、なぜその会社でなければならないのか、その会社で自分をどう役立てうるかということを、経営理念に絡めて全ての言葉の結論に込めるというのは、全くごもっともでなるほどと感じるばかりだった。やはり実際内定を受けている人の言葉というのは、説得力がある。俺も早く、「向こう側」の一員になりたいものだと強く思った。そのほうが勉強も心おきなくできるし、面接の自信にもつながるからな。終局的な目標である、俺の場合はJ市、彼の場合はU市の志望動機にお互い迷っているというのは、やはりみんなそうなんだなと思った。市役所の動機というのは警察や民間企業に比べイメージしにくい。何で目指すのか不明確なのにそこを目指そうとしているのだから、やはり公務員志望と言うのは順番が逆転している。Y氏からは、しゃべる内容はだいたいOKだから、あとは声がしっかり出るように注意すればいいだろうと言われた。俺はしかし内容にも不安があったし、彼のようにアドリブでうまく切り返せないから、質問の半分を占めるという、「思いがけない質問」に不安が残った。またゼミのことや改変誇張サークル経験についてもあらかじめ骨組みをまとめる必要性を感じた。総じて、思った以上に困難で、準備が必要なことであるという思いを強くした。そして明後日のこと、明日の夜のことを考えると不安だな、という思いが残った。

一部伏せ字にした以外は原文ママの日記である。あまりにも赤裸々すぎて、載せるのはどうかと少し迷ったが、当時の自分の頭の中や、友人とのやりとりがここまで詳細に残っているのは、自分史上において歴史的な価値があると思ったので、そのまま掲載した。自分に全く自信がない、自己否定の塊のような当時の自分と、承認欲求皆無の状態の今の自分との彼我の差に驚くとともに、10年という歳月の重みをひしひしと感じるところだ。あと、Y氏には当時非常にお世話になったということをこの日記から再認識したので、こんな場で恐縮だが、改めてお礼を申し上げたい。

 

そんな感傷も味わいつつ、思い入れはありながらも、やはりこのポメラはもう使うことができないので、お別れせざるを得ない。大切な、多感な時間をともに過ごした生き証人が、また一人、いや一台、遠い存在となる。寂しくはあるが、しかし、それより感謝の気持ちのほうが大きい。ポメラのおかげで自分は身軽になることができた。記録は逃げない。だから、当時の出来事も感情もすっかり忘れて、自分は自由に生きることができた。そしてこれからも、前に進むことだけ考えて生きればいいのだから。

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(60分)