不自由な「自由」

自分の今年のお盆休みは、土曜日に吸収された山の日と日曜日を含めて5日間。前半の3日間は、自分の実家や父の実家に行って挨拶したり、近所に買い物に行った以外、ほとんどずっと家族3人でアパートに籠もって育児・家事に専念し、空き時間でDVDを観たり、久々にPS3でゲーム(バイオハザード4)をしたりしていた。最終日である今日は、平成最後となる終戦の日ということで、NHK総合のTV放送に合わせて正午に黙祷をした。が、それ以外には特に何をする予定もなく、アパートでひとり、録りためたTV番組を視聴しながらPC作業をして過ごしている。


妻と子どもは、昨日の昼に車で妻の実家に帰省。次の日曜日に帰ってくることになっており、それまでの5日半ほど、自分は束の間の独身生活を過ごすこととなった。だが、これが目下最大の悩みとなっている。自由な時間を何に充てたらいいのかを、どう過ごすかを、決められないのだ。昨日の午後は、後回しにしっぱなしで必要なことすら忘れていた買い物や、銀行での手続き等の雑務、三十三年ぶりに公開された実家近所の観音堂秘仏の見学等の用事があったし、夜も消防団の夜警があったので、あまり戸惑う必要はなかった。ただ、予定が完全にゼロの今日は、もう朝からずっと戸惑いっぱなしで、外出するにも行き先がなくためらってしまう、どうしようもない有様で、我ながら参っている。


一般的には、この「自由」は歓迎すべきことなのだろう。結婚して、子どもが生まれて、時間の自由が利かなくなりストレスが溜まるというのは、男女を問わずよく聞く話だ。自分も少し前まではそうした部分が多少なりともあったし、さらに遡って20代半ばの独身時代には、休日に外出の予定を詰め込むことに血道を上げていた時期さえあった。しかし、子どもが生まれてからのこの1年間で、自分にとっては、そんな時代はすっかり過去のものになってしまった。平日の仕事の帰りがなかなか早められない分、休日は子どもと触れあい、向き合う時間を最優先し、最大化してきた結果、自分のやりたいことなどというものが頭の中からすっかり消え去ってしまったのである。お金の使い道も、自分のために何かを買うということがめっきり少なくなり、専ら子ども用品だとか、将来の貯金だとかに充てるようになった。服や靴、電化製品も、買い換えずに5年も6年も使い続けているものが増えているほどだ。子どもの誕生は、自分中心に物事を考えてきたこれまでの人生を180度転換する、人生最大のパラダイムシフトだった。この不可逆的な変化は、自分が望んで選んだ結果であり、いいとか悪いとかいうことではなく、ただ必然であったと思う。もう子どもなしの人生は考えられないし、子どもが生まれる前にどんな生活を送っていたかさえ(冗談ではなく本当に)ほとんど思い出せないくらいに自分の頭の中は変わってしまった。もちろん、子どもと同じくらい妻のことも大切に思っているし、仕事のことも日夜、頭の中でぐるぐるし続けている。だが、「自分のこと」はそれらと比べても、圧倒的に小さな存在になり、実際にそれに充てる時間はごくごくわずかなものとなった。


例えば、子どもの現在の1日のスケジュールを見ると、6時半に起床、朝のミルク、1時間後に朝寝、9時半に再び起床、10時離乳食、14時離乳食、1時間後に昼寝、16時半に再び起床、18時離乳食、19時半入浴、就寝前のミルク、20時就寝・・・と食事と睡眠の予定がぎっしり詰まっており、これを毎日規則正しく繰り返す必要がある。それに加えて、食事と食事の間の時間に、子どもを連れて買い物に行ったり、予防接種や健診等のために医者に連れて行ったりしなければならないのだから、自分のために何かするというのは無理な話だ。休日に用事を入れるということは、その間、妻一人に子どもを任せてしまうことになり、平日と同様の負担をかけることになる。だから、友人らとの予定も入れにくくなった。ここ4年ほどお盆の開催が恒例化していた新潟市での友人との飲み会も、宿泊を伴うこととなり、予定の見通しが立たなかったので、話を出すことすらもなく今年は開催しなかった。ただ、就職後も交友のある友人との関係は、多少会わなかったくらいで疎遠になってしまうものではないと思っているし、3、4年ほど経てば状況も変わると思うので、特に心配はしていない。元気でさえいれば20年後も会える友人よりも、今この瞬間しか見られないかもしれない表情や仕草や感情を示してくれる子どものほうが、現時点のプライオリティは確実に高い。子どもが親と一緒に居てくれるのは、ほんの短い間のことで、特に父親の場合は一瞬でしかないと思う。実際、子どもが1歳になるまでの期間は、本当にあっという間だった。だからこそ今、子どもと全力で向き合っておかなければいけないし、それをなおざりにしたら絶対に後悔することになる。自分はそんなふうに思って、日々子どものことを見つめている。


手持ちぶさたを紛らすために、久々に自分と向き合って、今の気持ちを整理してみたら、思いのほか心がすっきりした。自分の趣味のことは後回しでも構わないが、書くことを通じて自分と向き合う時間は、もう少し大切にした方がいいかもしれない。これだけの長文を書いても、まだ14時半だ。「これから何をしようか」という難問に、再び取り組むとしよう。

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