言葉の「誤用」

職場でよく使われる「仕事を減らす」という言葉、自分はこの言葉を聞く度にうんざりした気分になる。仕事を減らすことが最重要課題かのように用いられると、何のために仕事をするのか、ということを考える際の本質を見誤る恐れがあるからだ。


この言葉は、往々にして「残業を減らすために・・・」という文脈の中で使われるのだが、そもそもそのために大事なのは、「時間当たりの生産性を高めること」である。その方法として、価値を生まない仕事(コスト)を取捨選択したり、今までのやり方を変えて効率化・合理化したり、全く新しい要素や方法論を取り入れてみたりといったことを考えることになる。ワークライフバランス(マネジメント)を実現するために必要不可欠なのは、まさにこうした生産性の向上のための工夫であって、それを念頭に置かずにただ単に今までやっていたことをどれから順にやめるかということだけを考えるのは、極端に言えば職務怠慢であり、とんだ筋違いというものだ。こういう話が出てくるから、大学は非常識だと世間から言われるのだ。「仕事を減らすことが第一」かのごとく考えるのは、一般企業に例えたら「受注を減らす」「外回りをやめる」と言うようなものだ。贅肉を落とそうとして、筋肉や骨までばっさり切ってしまいかねない危険性が常につきまとう。そして、それを突き詰めると、「じゃあいっそのこと、組織をたためばいいんじゃないの?」という話になってしまう。仕事をするために組織が存在するのに、組織が仕事は少ないに越したことはないと言うのは、自らの存在意義の否定にほかならないということに、どうして思考が及ばないのだろうか。限られたリソースの中で、いかに多くの成果を挙げるかという所に、全ての仕事に共通する本質があり、その工夫こそが、自分の仕事への自信や、働くことの醍醐味につながるものだというのに、どうしてその道を自ら閉ざしてしまうのか。全く、残念でならない。


来年度の予算が減らされたから、予算がつかなかったから、もうこの仕事はやらなくていいよね、仕方ないね、なんて声が近くの部署から漏れ聞こえてくると、上述の「仕事を減らすこと第一主義」に陥っているのではないかと穿った見方をしたくもなる。だから、もしそうでないならば、自分に誤解を抱かせないように正確に言うならば、「生産性を高めるために、付加価値の少ない仕事を減らす」と表現すべきなのだ。「仕事を減らす」という言葉が独り歩きするような「誤用」に対しては、自分としては断固として反論しなければならないのである。

(携帯、20分)