VHS

休日は、なるべく外出しようと思っている。というのも、休日前に予めそう思っていないと、起床が遅くなって、「何をしようかなー」と考えつつ家の中(ほぼ自室)でだらだらした挙句、気付けば夕方になって「もう今日は出掛けられないな」という感じになってしまうことがよくあるからだ。ただ、今日の場合は、最初から「どこにも出掛けない」と決めていた。先週の土日に新潟への自転車ロングライドでずっと屋外にいた反動で、今日1日は家で過ごしたい気分だったからだ。


ただ、何かしたかというと、大したことはしなかった。片付けても片付けても一向に片付かない自室の整理や、録画したテレビ番組やアニメのDVDの視聴、ネットでの買い物や情報収集、そのくらいだろうか。家で過ごすときであっても、趣味を深めたり、本を読んだり、色んなものに触れたりして、もっと自分の視野を広げたりしないといけないと思うのだが、それを制約するものもまたたくさんある。自室の散らかりも、自分を制約する大きな要因の一つだ。とにかく昔から「捨てられない性質」なので、モノや書類や過去の記録が自室には溢れ返っている。それらが多すぎるがために、自分が何を好きで、これまで何をしてきて、どんなふうに考えて生きてきたのかということを絞れなくなっている。つまり、自室の散らかりによって「自分の軸」の構築が妨げられているということだ。集約・整理されていないから、自分が何者なのかが分からない。だから、動こうにも動けない。それゆえ、自室の整理が非常に重要な課題なのである。


今日は思いきって色んなものを捨ててしまおうと思っていた。だが、クローゼットの中で4本のビデオテープを見つけたことで、その目論見はとん挫することになった。自分の場合、捨てるといっても、それはモノの形を失うということであり、そのモノに「データ」が含まれる場合、は原則として別の媒体にバックアップを取ることが前提となる。雑誌を捨てるためには、スキャナで電子化(PDF化)しなくてはならない。今回なら、ビデオテープを捨てる前に、その中の映像をDVDに移すプロセスが必要となる。そのため、普段全く使っていないビデオデッキを引っ張り出してリビングのHDDレコーダーに接続して、ビデオデッキから出力したビデオテープの映像をレコーダーで記録し、それを更にDVDに焼くという面倒な作業をすることになった。レコーダーはビデオデッキ内蔵タイプなので本来なら外部接続など不要なのだが、なぜかビデオテープを入れてもすぐに吐き出してしまって全く再生できないため、使えなかったのだ。なにぶん7年前に買った機種なので、故障していてもおかしくない。そもそも、HDDがまだクラッシュしていないのが不思議なくらいだ。そういうわけでビデオをデジタル化する作業に取り組んだのだが、これをやり始めたら、何だか懐かしい気分になった。テレビ番組を予約録画するために「Gコード」を入力していたことや、見終わった後は「巻き戻し」が必要なこと、「3倍録画」にすると画質が低下すること、友人から借りたビデオをダビングするためにデッキ2台を繋げて操作したこと、一方でその友人は「ベータ」びいきだったこと。そうだった、ビデオって、こういう感じだったよなぁと、昔の記憶が蘇ってきたのだ。VHSが事実上絶滅してすでに久しいが、自分にとっても思い出や思い入れの面では、便利なDVDより不便なビデオテープのほうが依然として勝っているようだ。録画を機械に任せて放っておけばいいのに、録画しながら自分でもビデオの映像を見てしまったので、余計に時間を多く取られてしまった。等倍速でしか録画できず作業が終わらなかったので、明日もこの作業を続けることになりそうだ。


こんな遅々としたことをしていては、明日もダメにしてしまいそうだ。最低限、3時間の勉強と1冊分の読書だけはしたいのだが、完遂出来る可能性ははっきり言って低い。失望しない程度に、期待をしておくとしようか。

(50分)