床磨き

今日の午前中は長崎旅行の写真整理をしていたら終わってしまった。撮影した枚数は4日間で1000枚以上に上ったが、その半数程度は一緒に行ったH氏が車の走行中に助手席から撮影した車窓の風景だった。だいたいの写真が、ブレているか、ガードレール等が邪魔して景色がよく写っていないか、何を被写体として撮ろうとしたのか分からないかのいずれかで、写真としての価値はほとんどないものばかりだったのだが(H氏、ごめん)、それを全部消すと車での移動経路の写真がほとんどなくなってしまうので、写りの悪いものは消ししつつも、「記録」として極力残すようにした。写真はH氏と共有するのが恒例となっている。今回も例年同様に、Picasaを使ってCD-Rにデータを焼き、ディスクを送ることにした。レーベルをプリントし、ジャケットも自作したCDが完成すると、宛名を書いて封筒に入れた。全体的に、即席で作った大雑把な出来だったが、旅の記念としては十分だろうと思う。



昼過ぎに、自転車で家を発ち、隣の市にある運動公園に向かった。ここで13時から1時間半ほど職場の同僚7名とサッカー練習をした。次の週末にあるサッカー大会に備えて練習をしようということで、休日にも関わらず集まったのである。ハーフコートで、4人ずつに分かれて3回チーム戦をしたのだが、これが風邪の治っていない体には酷く応えた。サッカーは走ってナンボのスポーツだというのに、試合中にゴホゴホ咳こむは、鼻水が出まくるは、息が切れるはで、体がだんだん重たくなり、途中からほとんど走れなくなってしまった。当たり前だが、体調が万全でないときにスポーツをやるものではない。肉体的に非常に辛かった。汗がありえないほど大量に吹き出たので、持って行った500mlのお茶を飲んでも全くのどの渇きが満たされなかった。帰りに、写真CDをメール便で発送するためにコンビニに寄った際、ついでにアイスを購入。それを食べてもなお体が水分を求めたので、更に家の近所の自販機で500mlの缶ジュースを購入。これを飲んでようやく一息ついた感じがした。ただ、この「ショック療法」が効いたのか、この後は咳と鼻水の症状は少し改善した。


帰宅したのは15時過ぎ。運動後にシャツを着替えたとはいえ、なお汗だくだったので、すぐに風呂に入ることにした。そのついでに、風呂場の床タイルをブラシで磨いて掃除した。恥ずかしながら、自分は自宅にいながら自宅の家事をほとんどしていないのだが、風呂の床タイルだけは、自分の仕事として担当することにしている。この作業をするのがたいてい休日の日中なのだが、毎週やろうとか何時からやろうとかと決めている訳ではないので、汗をかいてシャワーを浴びた時に「ちょうどいいや」とそのまま掃除を始めることが多い。今回もそのパターンで、20分ほどかけてブラシで床を磨き、赤い水アカをこすり落としたところ、タイルが元の白さを取り戻した。それを見て、自分の気分も少しすっきり。今夜は気持ちよく風呂に入れるなと思った。祖父母はかなり高齢だし、支離滅裂な暴言で家族を傷つける祖母の認知症は酷くなる一方だ。四六時中家で祖母の攻撃に晒されている祖父の寿命はかなり縮められているに違いない。働きながら食事や掃除を一手に背負っている母の負担を減らすためにも、自分の家事の担当範囲を増やさなければならない。それが現在の大きな懸案の一つである。


祖母の暴言は、内容がワンパターンで、特にきっかけもなく発動する。このとき、言っていることに対してまともに反応を返すのはご法度だ。始まったら、とにかく言いたいことを言わせて黙るのを待つしかない。反論などしようものなら、火に油を注ぐことになる。よその家を引き合いに出して家族を罵倒したかと思えば、この家と比べて(ほとんど思いこみと決めつけで形作られた空想上の存在とも呼ぶべき)よその家のことを卑下するなど、元から論理的に矛盾し、破綻している上、時代錯誤な著しい偏見が大量に含まれているので、いちいち話に耳を傾けていたら、こちらも頭がどうにかなってしまうと思う。少なくとも、頭に血が上ってしまうのは避けられない。不満があって何か言うのではなく、文句を言うために文句を言っているので、言っていることに対しては、いかなる正論も通用しない。論理を解する能力が失われるのが認知症なのだから、当然のことだ。諭しても、反論しても、いたずらに刺激を与えるだけで結果は同じである。ゆえに、聞いたふりをして、嵐が静まるのを待つのが一番得策ということになる。こういう環境に置かれているせいで、聞いたことを右から左に聞き流して忘れることが得意になった。自分は聖人ではないから、祖母の破綻した言動に耳を貸しつつ、家族に向けられる怒りの感情を受け止めつつ、それでもなお優しい気持ちで接するようなことは不可能だ。それゆえ、言葉の暴力で家族を傷つける祖母に対して憎しみの感情を持たないためには、こういう反応を取らざるを得ないのだ。悲しいことだと思うが、仕方がない。ストレスと言えばストレスかもしれない(禿げの進行に影響しているかもしれない)が、同じ精神状態で寝たきりの老人を介護をしている家庭では、これとは比較にならないほどの大きな負担を抱えているはずだから、弱音を吐く資格はないし、何らかの施設に入居させるといった選択肢も考えてはいない。今や国民の4分の1が65歳以上の時代である。こんなことは、全国の多くので毎日当たり前のように繰り広げられているのであろうと思う。一度なってしまったものはもう仕方ないが、せめて予防する薬が開発されれば、悲劇を減らすことが出来るのではないか、いや持って生まれた性格と環境がそうならしめるのだから薬なんかじゃ無理か・・・ということを考えて、日本の行く末を案じる日々である。

(120分)