年相応

いつになったら大人になれるんだろう…。
自分は昔からずっと同じだ。知識だけ集めて世の道理が分かったような気分でいる、頭でっかちなガキのままだ。


…なんてことを思ってしまうのは、自分が「年相応」の人間であるだろうかということに疑問を感じた時である。年相応というのは、外見とか服装、立ち居振る舞いや精神的な成熟さ、社会人としての経験値や判断力といった点をほかの同年代の人たちと比べて、どうなのだろうかということだ。ニュースや新聞で同じくらいの年齢の人が活躍し、さらに堂々とした言葉を述べているのを見たりすると、自分自身はあんなふうに立派な「大人」として立ち回れているかという問題について非常に悩ましい気分になる。ときには危機感を覚えるし、このままではダメだという焦りを感じる。現状として、自分が「いっぱしの25才」であると自信を持って宣言することは出来ない。むしろそれとは程遠い。自分はあまりに未熟だ。具体的にどういう観点から見て未熟かといえば、やはり「人付き合い」という部分が一番大きいだろう。周りの人をおもんぱかる、一緒に協力して何かを成し遂げる、誰かを大切に思う、そうした経験が自分のこれまでの人生には非常に足りなかったのだと思う。おそらく10年分近く足りない。10代後半〜20代前半の青春時代の成分が足りないんだから、これは相当に大きい。大学生時代なんて、下手をすると人間的に成長どころかマイナスに向かっていたかもしれない。社会人生活を送っている今現在でさえ、自己成長のグラフ(y=ax+b)の傾き(a)は小さいのだ。今はそれほど目立たなくても、年を重ねるにつれて「年相応」の水準からどんどん乖離して行ってしまうだろう。そういう厳しい実態を踏まえて、これから「人間としてどこか欠けた人物」として、自分の欠陥を認めて生きていくのか、「凡人」の夢をあきらめず何らかの自己成長を目指して行くのか。今の年齢は、まさにその岐路にある。

(20分)