年齢オーナス

1日というのは、目的もなく過ごすと、実にあっけなく終わってしまうものだ。それはとどのつまり、人生そのものにも当てはまる。自分を「若者」だと思って、いくらでもあるかのように感じられる自由な時間を浪費していると、若いときにやっておくべき色んなことの「タイミング」を逸して、過ぎた後になってから自分の無策を後悔することになる。


若いうちの時間の希少性を、自分は「年齢ボーナス/年齢オーナス」という概念で捉えている。若いうちは、ただ若いというだけで、周りからちやほやされたり、行動の自由が効いたり、選択肢を多くの中から選べたり、ミスや未熟さを多目に見てもらえたりする。これは年齢が少ないことがプラスに働くという意味で、「年齢ボーナス」と言える。一方で、一定の年齢を過ぎ、相対的に若くなくなってくると、状況は一変する。いい年をして、こんなことも知らないのか、こんなこと一つ出来ないのかというふうに周りからの目が厳しくなるし、有形無形の様々な圧力が自分の内外からのしかかってくることになる。失敗した時のリスクも、以前とは比較にならないほど上昇する。無限にあったように思えた選択肢はいつの間にか数えるほどに減り、そのくせ難易度は以前より上がっていて、得られる果実も小粒なものばかり、という事態が頻発するのだ。年齢が上がることが重しとなってマイナスに作用するこうした現象は、「年齢オーナス」と言うことが出来る。この2つは「人口ボーナス/人口オーナス」という人口学の用語をもじって、自分が作った言葉だが、一般的に納得してもらえることだと思うし、普遍性はあるはずだ。今の自分の26才という年齢は、ちょうどボーナス効果の低下トレンドが顕著になってくるポイントであり、おそらく30才くらいでオーナス効果と逆転することになるだろうと自分は見ている。すなわち、「若さでごまかしが効くのは20代のうちだけ」ということだ。完全にオーナスに陥る前に、自分の様々な未熟な部分を最低でも人並み程度に鍛え上げておかなければ、今後あらゆる局面で対外的な困難に直面することになるだろう。残り短い時間の中で、「どこで、どのように行動を起こすべきか」あるいは「タイミングを逃さないように、どのように備えるか」というのは、常に頭の中に渦巻いている問題だ。未来の自分のために、今すべきことは何か・・・。今日も1日、きっとそんなことばかり考えていることになるだろう。

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