lockout

毎月1日と15日の夜は消防団の夜警の日。今夜も夜警から帰ってきて、何で22時までやるんだろう、風邪が悪化しかねないじゃないか、ああうんざりだと思いながら、家の玄関の戸を開けようとしたら・・・何てこった、鍵が閉まっていた。自分が出掛けていることに気付かず、家族の誰かが鍵を掛けてしまったのだ。普段の土曜日なら、まだ母が起きている時間だし、玄関脇にあるリビングにいれば外から声をかければ気付いてもらえる。今までの場合も、それで解決していた。だが、今夜に限っては、明日が出勤日のため早々に2階で就寝していたため、そうは行かなかった。玄関のチャイムを連続で鳴らしても誰も起きて来やしない。あいにく携帯は持っていなかったし、試しに家の周りをぐるっと歩いて、窓や裏口が開かないものかと試してみたが、当然ながら全部施錠されていた。じゃあ車で寝るか・・・と思ったものの、車の鍵も家の中なのでそれもダメ。どうにか家族を起こすしかない。仕方なく、玄関の引き戸をひたすら揺らしてガタガタと騒音を立て続けたところ、祖父が目を覚まして玄関を開けに来たので、それでようやく帰宅することが出来た。ここまでに要した時間は5分ほど。鍵を閉めたのは祖父だったようだ。家から閉め出されてしまったことへの憤慨の念もあったが、自分がこういうケースに対して無策だったのが悪いとも感じた。従って、次に夜警に行く時には、携帯を持って行くか、家の鍵を持って行くかのどちらかの対処法を講じることにしようと決めたのだった。


それにしても、この夜警の時間というのはつくづく嫌なものだ。といっても、消防車で集落を回ったり、小型ポンプの動作確認をしたりといった「正規の活動」をするのが問題なのではない。それらの活動後にポンプ小屋で行なわれる飲み会が嫌なのだ。地面から空から虫が次々と入り込んでくる上に、タバコの煙が立ち込める、ボロくて汚らしい小屋での飲み会なんて、そこにただいるだけでも不快なのだが、一番困るのは他の団員たちの話題と全く相容れないということだ。たいていは、車・バイクの話か、下ネタのどちらかが話題の中心である。どちらもマニアックだったりくだらなすぎたりして、話が盛り上がっていればいるほど関わる気になれない。今回の話題で唯一気に留まったことがあるとすれば、「男の子は母親に、女の子は父親になつく」という経験談(心理学でいうところの「オイディプス・コンプレックス」に近い話)に、「本当か?それ」と訝しんだくらい。だから、たいていはずーっと押し黙ってその場をやり過ごすことになる。なんだって改造してまでバイクの排気音をあれほどうるさくするのだ。自分には理解できないし、理解したくもない。騒音公害ではないか。そんなに大音量が好きなら、バイクのマフラーにヘッドホンを接続して運転している人間にだけ聞こえるようにしたらどうだ?・・・なんてことを心の中でつぶやいたりしてただ時間をつぶしている。そういう「だんまり野郎」として通しているので、何も言わないからといってその場に居づらいとかいうことはない。それゆえ、無理をして彼らに合わせようというつもりもないし、そうする必要もない。特に何かを求められることもないまま、ただその場にいるというだけの時間。それが、2時間以上も続くということに、自分はうんざりしているのだ。やれバイクのチューンアップだツーリングだなどと話が盛り上がるもんだから、彼らは時間が経つのもすっかり忘れてしまって、19時台に始まる夜警は平気で21時、22時という時間に達する。もう途中で帰ろうかなと思うこともあるが、加入年次で見れば一番下っ端なのでそれもしづらい。仕方なく、嫌々ながらその場に居続ける訳だ。これも一種のご近所付き合いだし、多くて月に2回だけのことだからと思って我慢しているが、全く考え方の相容れない人たちと一緒にいるというのは、やはりどうにも苦痛を伴うものである。これだけ自分とは正反対の人たちが同じ組織に属しているというのも、ご近所というコミュニティならではとも言えよう。一方で、我を出さないでこのまま今後も10年以上この種の人たちと付き合い続けるであろうことを考えると、それでいざ災害や火災が起きた時に一致団結して行動出来るのかという疑問も生じるし、いくら理解が及ばない相手だからって世間話レベルの最低限の会話さえ出来ないっていうのは大人としてどうなのよという気もする。それはさすがにちょっと、社交性が低すぎるんじゃないか、と。いずれにしても、この問題とは今後長い間付き合っていかなければならないだろうな。

(65分)