ENDING

久々にエンディングノートに記入してみた。6月から使い始めたものの、ずっと放ったらかしの状態だったので、これではいかんと思って重い腰をあげたのだった。1時間半くらいかけて色んな項目を記入した。クレジットカードや銀行口座のことを書く分には、面倒ではあるが淡々と作業が進む。死んだときの家族の手間を減らすと同時に、生きている時にも自分自身の資産管理上で役立つことなので、まとめておくのは大切なことだ。しかし、自分の葬儀や臓器提供の項目に関しては、ペンの動きが鈍った。他のページのように平常心で臨むことはできなかった。どんな葬儀を望むか、死装束はどうするか、遺影は、墓は・・・なんて考えて、ちょっと心が揺らいだ。死んだら自分の体は燃やされるんだよな、これまで身につけてきた知識や経験はパーだし、記録もいつか消える、切ないな。そんなふうに、神妙な気持ちになってしまった。口では3、4年前から「明日死んでもいいように今日を後悔なく生きる」なんて、ずっと自分に言い聞かせていながら、本心では明日死ぬなんてさらさら思っていなくて、心の準備は全然出来ていなかったのだ。だから、ちょっと具体的な話に及んだだけで、不安になってしまった。自分の死への心構えを欠くことは、生きることへの真剣さを欠くことでもある。ノートへの記入を通じて、自分に残された時間――あと何日だか何十年だか分からないが、いつか死ぬ以上、人生の期間は全て「タイムリミット」だ――について意識させられたのは、いかにして生きるべきかということを考える上でとても意味のあることだった。この気持ちを今回限りで忘れてしまっては困るので、これからは週一など定期的にノートを開くようにして、内容を充実・更新すると同時に、時間の希少性とありふれた日常の非日常性について心に刻みたいと思う。

(35分)