万が一

自分がそう遠くないうちに、前触れもなく、病気でも事故でも自殺でもなく、ある日突然ぽっくり死ぬ、ということもありえない話ではない。というのも、自分の父の家系は心臓が弱い体質(という表現が妥当なのかは自信がないが)らしく、父方の祖父と叔父は、自分が小さいころに睡眠中の心臓麻痺が原因(と思われる)で亡くなってしまった。父も自身が同じようなことになるのを心配して、昨春に予防的に心臓手術を受けた。体質だけでなく、ストレスや生活習慣も複合的に影響するのであろうが、叔父は30代の若さで亡くなったから、自分もいつ同じ運命をたどったとしても不思議ではない。今夜のように、入浴中に急に左胸が変な感じで痛んだりすると、時限爆弾がカウントダウンを始めているのではないかと不安に駆られる。「明日死んでもいいように、今日を精いっぱい生きる」というのを昔からモットーに掲げているところではあるが、実際には自分は死ぬ覚悟も準備も出来てはいないし、「明日死んでもいいか」と問われればいつだって「ダメだ。イヤだ」と答える。自分は余生を送っているわけではないのだ。どんな時代や境遇になっても「生きて行く覚悟」はあるが、「死ぬ覚悟」なんてものはどこにもない。もしあったら、学生時代のうちにつまらないことをきっかけに死んでいただろうな。まだ死んで「無」になるつもりはないが、しかし自分の死を永遠の如き遠い未来のことだと信じて疑わない、全く歯牙にもかけないほど能天気でもない。自分が死んだときに、「本人にとっても晴天の霹靂だったろう」「無念だったろうな」と周りに思われるのはいささか不本意であるので、もし心臓が突然止まって死んだとしても、それはある程度予兆はあったし、予感していたことであったのだということを周りには分かっておいて欲しいので、予めここにこういうことを書いておいたという訳だ。自分の理想としては、軌道エレベータが完成して宇宙に誰もが行ける時代が始まる頃(2070年代になるだろうか)までは生きたいと思っている。その時代まで日本が世界に負けない科学技術とサブカルチャーの先進国であり続けるために、自分も何かしらの貢献をしていきたいし、しなければならないと思う。いくら長生きしたって、日本が日本でなくなってしまっては、意味はないのだから。

(30分)