旅立つまでに

今日の昼休み、ある著名人の訃報を聴いて耳を疑った。帰宅後、22時台のニュース番組の報道で、彼女の遺した言葉を目にして、涙があふれた。ニュース番組を見て泣いたことなんて、これまでなかったと思う。人はいつか必ず死ぬ。その当たり前の事実を、生きていることを当たり前だと誤解して、徒に時間を浪費しがちな日々の中で唐突に突きつけられて、激しく心を揺さぶられた。自分は一体何をやっているんだ、と。


だから、明日訪れるとも知れない、自分の死について、今一度省みることにする。


自分は子供の頃から、死を極端に恐れてきた。大人を見て、あと何十年かで死ぬのに、どうして平然としていられるのだろうと不思議でならなかった。自分の全てが無に帰すこと、この世界から消滅することに、底知れない恐怖を感じてきた。それと同時に、死が避けられないのであれば、死ぬまでに、自分の生きた証を、何らかの形で、どこかに残したいと思ってきた。何らかの偉業を成し遂げて、歴史に名を刻みたいという、随分と大それた願望だった。それが、大人になるにつれ、いわば自分の身の程を知るにつれて、次第に影を潜め、自分の意識下から出てこなくなっていった。ここ2年ほどに至っては、「いつ死んでも、まあいいんじゃないか。十分生きたし、これまでに色々体験できたから」というぞんざいな態度に変わっていたほどだった。自分の人生に対するある種の諦観が、そうした消極的な人生観につながっていったのかも知れない。ここ2年の自分は、心身ともに疲れきって、すっかり縮こまってしまっていた。


そんな生き方に対して、大きな一撃を食らわせたのが、今回の訃報であり、彼女の生き方だった。彼女は、自分が死ぬときに、「可哀想に」と思われたくないと書き残していた。なぜなら、病気であることが、自分の人生を代表する出来事ではないからだと。確かに、全くその通りだと思った。短い命でも、病気と闘いながらも、それでも目の前の出来事に幸せを感じ取って、精一杯生きていた人を、不憫だと言うことなんて、誰にもできない。では、自分は、自分が消えた後、周りの人からどう思われたいだろうか。……難しいけれど、できれば、できるだけ早く日常の意識から忘れ去って欲しいと思う。自分がいなくなった後、特に問題もなく、不自由も感じず、心に波風を立てずに穏やかに過ごしていて欲しい。それが自分の望みだ。だから、両親や祖父母よりも先には死んではいけないし、死んだ後で遺産の争いが生じるような財産があってもいけない。かといって、家族を路頭に迷わせてもいけないから、必要最小限の財産は残さないといけない。禍根を残すから、誰かと激しく衝突したり、その人のことを悪く言ったりしてもいけない。死んだ後でバレて困るような隠し事をしてもいけない。死人に口なしだから、それが誤解であっても弁解はできない。誤解の余地もなく、正々堂々と生きないといけない。処分に困るようなものは、予め取り扱いを決めておかないといけない。膨大な紙の記録類と、ウェブ上に書き散らかしたブログ記事をどうするのか、生前に決めておかないといけない。こう考えてみると、自分の死後に理想の状態を実現するには、なかなかハードルが高いということがわかった。そして、意外にも、自分は自分の死に、裏返せば自分の生に、かなり固執しているということがわかった。その本当の心の声に耳を貸さないでいると、いざ「ああ、死ぬ」という時になって、走馬燈が駆け巡る中で、もっとああしておけばよかった、なんでもっと早くこうしなかったのだろうかと、後悔の念にさいなまれる悲劇で、人生の幕を閉じることになりかねない。つまり、心置きなく死ぬためには、もっと頑張って、能動的に、心豊かに、後ろめたいところのない日々を生きなければならないということなのだ。それに気がついて、自分の認識の甘さを深く反省した。


だれだって、死期は選べない。しかし、まだ死ぬ準備はできていない。100歳まで生きても、準備など整わない、見果てぬ夢なのかも知れない。それならば、いっそそれでも構わない。一番大事なのは、人生の中で、自分の心の炎を本気で熱く燃やしたかどうかということだと思う。たった一つでも構わない。愛する家族のために燃やしたのか、一世一代の大仕事のために燃やしたのか、趣味のために燃やしたのか、それは人それぞれでいい。色々やり残したことは多かったけれど、これを頑張ったことだけは、一片の後悔もない。完璧ではなかったけれど、自分なりの全力を尽くした。そう思える何かがあれば、死んだ後、この世に化けて出ることはないだろう。自分の心の炎は、どこで燃えているか、何に対して一番激しく明るく燃え上がるのか。それを確かめることを、そしてその炎に自らの努力という油を注ぐことを、人生の最大のミッションにして、これからの日々を生きていきたい。


大切な気づきを与えてくれたひとに、心からの感謝を捧げるとともに、旅路が安らかであらんことを祈ります。

(100分)