消費電力

自分が住む地域は東北電力の管内である。多くの日本人がそうである(と信じたい)ように、自分も先の震災を機に電気の消費に対して神経質になった。それ以前から、環境問題と文明の持続性の観点、何より経済的側面から、家庭での電気の節約に気を遣ってはいたつもりだが、本当に真剣に考えていたかといえば、明らかにそうではなかった。家を空けるときに電化製品を点けっぱなしのままにして外出しないように、無人のときに電気を使わないようには心がけていたが、家にいる時に使う電気については、鈍感であったという面は否めないと思う。大学時代は、毎日深夜まで起きて明かりを点けていたし、夏はエアコンを割と軽はずみに使用していた。確かに、PCのモニターのバックライトを暗くする、冷房(暖房)の温度を高め(低め)に設定するなど、時間当たりのランニングコストを下げる取り組みについては、ずい分前から意識して行ってきた。しかし、だらだらとPCにかじりついているなどしていては、効率の向上が使用時間の長さで相殺されてしまい、結局のところ電気の使用総量自体は下がらない。車の燃費がどんどん向上しているにもかかわらず、乗用車の台数が増えているために、日本のCO2排出量は増加の一途である・・・という話を大学の時にある講義で聴いたが、それと全く同じことである。日本ではこれまで、世界一省エネな電化製品を、あらゆる家庭に普及させ、一家に一台どころかモノによっては一人で一台ずつ所有し、それらをおそらく他国よりも高い頻度で使用してきた。世帯数が増えれば増えるほど、電化製品の台数は増えて行く。そのため、日本の高度な省エネ技術は、家庭部門全体の使用エネルギーの低減を実現出来ず、その総量はずっと増え続けてきた。日本人はこれまで電気を使い過ぎ、電気の便利さに頼りすぎていたのだ。歯ブラシや単機能の体重計などは、別に電気で動かす必要はないし、これほど多くの家庭で「ごく当たり前に」トイレの便座に電気が通っている国は日本のほかにはない。冬でもヒーターで暖かい便座なんて、世界から見たら非常識な話かもしれない。このまま電気を使い続けていたら、自分が生きているうちに石油や天然ガスが枯渇してしまう恐れがある。化石燃料の枯渇は文明の終末と同義であり、いざ無くなるに際しては、全世界が資源を奪い合う最終戦争が起こる可能性もある。どう考えてもこのままではマズい状態であったことを、今回の電力危機をきっかけにようやく深刻に認識することが出来た。電気の使用総量に鈍感で、何でもかんでも電気を使って楽をしてきた今までの生活とは、もはや決別しなければならないのである。


さて、前置きが長くなったが、ここからが本題である。電気の使用状況を調べるために、先日、東北電力の「電気ご使用実績照会サービス」に登録してみた。手続きは少々手間だったが、これにより過去3年分の自宅の使用電力量及び電気料金がネットで閲覧出来るようになった。その結果を示したものが、下のグラフである。

08年度と09年度に比べ、10年度の夏と冬の消費電力が大きく伸びていることが分かる。この増加分が、自分が大学卒業後に実家に帰ってきたことによって新たに生じた分、すなわち自分が使用した分だと考えられる。今年度は、昨年度自分が増やした分の電気使用量を圧縮し、一昨年度以前の水準にまで戻すことを目標に、夏場は自室のエアコンを使わず、冬場はハロゲンヒーターを使わないようにしたいと考えている。その実現のためには、なるべく自室にいないようにするのがよいだろう。電気への依存を見直しながら、自分の生活スタイルもそれに合わせて省エネで健康的な方向へ改善していければいいなと思っている。

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