寿司

今夜は祖父母を回転ずしに連れて行き、ごちそうした。回転するレーンから皿を取り、さあ食べようとしたとき、ふと考えた。「すしの正しい食べ方って、どういうものだろうか」と。正しいというのは、マナーとして行儀のよい形という意味である。自分は唐突に、思索タイムに入った。


・・・例えば留学のために海外に出て、現地の人々と交流しようとしたら、向こうは自分について以上に、日本という国について質問の矢を浴びせるだろう。自分が以前、日本にやってきた中国人留学生と飲み会で隣りの席になったときは、中国と日本の食文化や漢字文化の違いについて質問しまくったものだ。日本人は向こうの文化や言語について勉強する気で留学するが、一方で向こう側も「留学生から日本のことを教わろう」と思って接してくる。こちらから情報を提供せず、相手から一方的に教わろうというのは虫がよすぎる。大切なのはギブアンドテイク。こっちが与えることで初めて相手からも教えてもらうことが出来る。等価交換が留学における真理だろう。で、日本人が来たと聞いて興味津々で接してくる人々がいたとして、彼らが日本の何について質問してくるかといったら、やっぱりスシ、ニンジャ、ゲイシャあたりが定番中の定番だろう。いや、それはちょっと発想が古いか。最近なら、アニメ、マンガ、ゲームについて聞かれるかもしれない。それらについて聞かれて、間髪入れずにビシッとウィットに富んだことを答えられるくらいの教養やユーモアは必要だ。そうしたシーンで、すしの食べ方についてもお手本を示せなければ、日本人として恥をかくのではないだろうか。例えば醤油をつけるとき、シャリにつけるのか、逆さまにしてネタにつけるのか。そういう細かい部分に注目されることも考えられるし、本人がマナーの心得もなく何の気なしにやったことを「これが日本人のすしの食べ方なのか」と一般化されてしまう恐れもある(日本人は外国人を見て頻繁にそういう一般化をしていると思う)。自分は醤油が大好きで味が濃いほうが好みなので、ネタを剥がしてベタッと醤油につけてまたシャリに重ねるという食べ方をする場合がある(さすがに軍艦巻きと海苔巻きでは無理だ)が、これは外国人から見てもはしたない、美しくない食べ方だろう。様になって、粋で、かつすしの味を最も高める醤油の付け方とは、いかなものであろうか?


・・・なんてことを黙々と考えながら、もぐもぐとすしをほおばっていたのだった。つまり、自分はすしを食べるときのマナーについて無知であり、留学しようとする人には出国前にまず日本の文化(伝統文化とポップカルチャーの両方)と歴史について十分に理解を深めておくことをハードルとして課すべきだという主張の持ち主である訳である。そういうふうに、自分はいつも思索のタネを見つけては、それについて問題提起しあーだこーだと批評を加えながら一定の結論を得て勝手に満足しながら、生活している。テレビを見ても、本を読んでも、何をしても、そういうことをしているが、それが最も活発に行われるのは風呂に入っているときであり、文章に残ることがないため、ブログには反映されずにその場で湯気とともに消えてしまうことも多い。これはこれで楽しいが、一方的な行為であるためどこか空虚で、発展性がないと感じているのも事実である。自分がもし学生だったら、上段のような話について、いやもっとくだらない話でもいいから、2、3人で集まって活発に議論してみたいなー、と今となっては思うのだが、弟にはそういう態度や発想はないようだ。あいつは一体、これからどうする気でいるのだろうな・・・。

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