国難

11日14時46ごろに発生した東北地方太平洋沖地震では、東北地方太平洋側を中心として、揺れと津波、その後の火災によりかつてない甚大な被害が生じた。地震の規模はマグニチュード9。とてつもなく大きなエネルギーが、海底下のプレート境界から放出された。


この地震により日本が被った、人的、物的、経済的、環境的、精神的、国際関係的被害は計り知れない。とても金銭換算出来るものではないとは思うが、一次的な被害額は単純に考えても数十兆円、経済活動の停止による二次的被害まで考えれば、中長期的には数百兆円の規模に上るのではないかと感じる。果たしてこれほどの大きな損害を、日本の政府、企業、家計が引き受けることは可能なのだろうか。国債発行でどうにか出来る規模を遥かに超えており、政府が単独で引き受けることは絶対に不可能だ。あらゆる影響が日本全体に及ぶことは間違いなく、国家の存亡をも揺るがしかねない事態に陥っている。菅首相が言った通り、終戦以来最大の危機であり、まさに国難であると言わざるを得ない。


直接的には何の被害を受けていない自分でさえも、テレビ報道でずっと被害の映像を見ていたら、そのあまりにも深刻な状況に、尋常ではない精神状態になってしまった。平常心は失われ、まともに落ち着いて物事を考えることが出来なくなってしまった。この国はどうなってしまうのだろう、日本は、日本人は、この危機を乗り越えることが出来るのだろうか。不安な思いだけが先走り、頭を働かせることが出来ないでいる。明日から出勤だが、とてもじゃないが、いつも通りに仕事が出来るとは思えない。自分の日本人としてのアイデンティティを破壊しかねない事態を、国が危機に瀕しているのを、「人ごと」として思考から捨象することなど出来ようはずがない。混乱する頭の中は、もはや思考停止状態に近い。現在も、途切れ途切れな思考を何とか必死でつなぎ合わせながらの作業で、どうにかこうにかこれを書いている。


この国難に際して、自分が行うべきことは2つあると思う。一つは、なるべく今までどおりに生活し経済活動を行うこと。被災地に援助をするための物資や、人員は、被害を受けなかった地域が生産活動を継続することによって、供給可能になる。「被災地は大変なことになっているのに、こんなところでこんなことをしていていいのか」という思いが、誰の胸にもあるかと思うが、むしろ今の状況下で経済活動を停止したら、援助の道は途絶え復興は遠のくことになる。対外的に、日本全体が瓦礫の山になり灰燼に帰したのではないのだということをアピールし、国際社会における日本に対する不安感の拡大を食い止めるためにも、一般市民は今までどおり生活すべきである。そしてもう一つ重要なのは、自分が同じ事態に遭遇した場合に備えることだ。例えば、家に非常用の食糧、生活物資を備蓄すること。連絡手段や交通手段が断絶したときに、どこに避難するかや、安否を確認する方法について、家族で話し合い、対応策を明確化しておくこと。どうしても失いたくない大事なものは、家が壊れた場合でも回収できるようなところに保管しておくこと。危機的な状況下で自分の身を守り、生き残るための、サバイバルの知識や技術を身につけること。そして何より大事なのは、自分の体以外の全てを失う最悪の事態が起きても絶望しないために、その可能性を常に覚悟しておくこと。それが地震国である日本に生きる者としての務めであると思う。


この国難は、日本人が力を合わせれば、必ず乗り切れる。見事に復興して、明治維新、敗戦復興に次ぐ、「第3の奇跡」を起こすことが出来る。根拠はなくても、ただただ、そう信じたい。そう信じるほかに、おそらく、日本が未来を切り開く道はない。

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