節約の意味

先日、職場での飲み物をスティックコーヒーに替えたという記事を書いた。これは、自分にとって節約になるわけだが、自分にとって節約の目的というのは、お金を貯めるためではない。節約で浮いたお金を別のことに対して使い、同じお金を使うにしてもより多くの効用を得られるようにするためである。それも、ただ単に安いものをたくさん買うのではなく、今より質の高いものを、という点も同時に追求している。質というのは、自らの一時的な有益性と社会への影響を包括した中長期的な経済合理性という観点に集約されるが、その内訳としては、自分の健康への肉体的精神的影響、環境負荷の軽減、産業や社会の持続可能性、文化的歴史的価値の尊重といった視点が含まれる。もちろん常にこうした観点から買い物をしているというわけではないのだが、お金の使われ方、流れ方が、社会の形、国の将来を形作るものである以上、とにかく安いものがたくさん買えることが一番いいというような考え方で、安易に安い製品や外国資本の製品を買う気にはなれない。特に就職してからは、電化製品等で日本のメーカーのものを選ぶことが多くなった。そして同じ国内メーカーのものなら、MADE IN JAPANのもののほうがなおのこといいと思っている。お金がグローバルに動いている中にあっては、お金を国内で還流させる意図を持って選択を行わなければ、知らず知らずのうちに外貨が流出し、国内の産業の疲弊と衰退を促進することになりかねない。日本人が日本の産業を支えもしないで、どうして日本が発展できようか・・・。自分の中には、そんな危機感がある。


これまで日本の国債を買い支えてきたのは、家計が銀行等に貯蓄した1400兆円にも上る巨大な預貯金である。そして、その預貯金の8割は50歳以上の世代が所有していると言われている。すなわち、国家財政の悪化は、中高年世代が老後の備えとしてせっせと積み上げ、眠らせてきた預貯金に起因するという言い方も出来る。そう考えると、給料を貯金に回し、経済活動、生産活動のために用いず流通させないでおくことは、罪なのではないかという意識が芽生えてくる。つまり、「金は天下の回りもの」たるべきだということだ。だから、自分はお金を貯めこまずに使えるものにはどんどん使っている。それに、本来的に空虚な存在である貨幣という形ではなく、モノとして価値を留めたほうが、この先貨幣価値が激変して預貯金の価値が失われたとしても安全だという見方もある。

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