復興支援2012・前編

東日本大震災から間もなく1年10カ月になる。元々、過疎化が進行し、経済が疲弊していた地域を襲った大津波は、多くの人命を奪っただけでなく、事業所や工場といった生産手段や港湾・道路・上下水道といったインフラの破壊により、そこに生きる人々を支えていた「仕事」をも奪ってしまった。それにより、人口の流出が加速し、さらに過疎化が進んで、地域経済が崩壊の危機に瀕してしまうという悪循環に陥っている。これは、お金のバラマキなんかで容易に食い止められるような問題ではない。政府がばらまいたお金は、短期的にはその地域の経済を潤すだろうが、湯水のように使われたお金はすぐにどこかに流れ去り消えてしまう。ずっと前から言われていることだが、地域経済の振興のために大事なことは、「お金が継続的に流れ込み、かつ地域の中で循環する『仕組み』(=ビジネスモデル)を作ること」である。ビジネスとして、安定して継続性のある形でお金が流れる仕組みが構築されない限り、どれだけ多額の「復興予算」が投入されても、本質的な意味での復興は実現しえないだろう。自分は経済活動、特に消費行為を通じた民間の力による復興こそが重要であり、そのために微力ながら関わりたいと思っている。そもそも、東海、東南海、南海地震等の発生を控え、これから日本中が災害に襲われることになるのだから、万能とは程遠い政府がトップダウン的に(という表現は地域主権の観点から不適切かもしれないが)被災地にお金を与え復興を支援していくという方法には、もはや限界があるのだ。天文学的な水準の国債発行残高を抱えた状態で「東京壊滅」のような非常事態が起こった際に、経済活動がストップしたまま政府が巨額の財政出動をしようとしたら、市場は日本を見限り、国債は一気に暴落してしまうことだろう。民間の経済活動による「経済力」の裏付けがあって初めて、政府の信用が存在しえるのである。つまり、今後の被災地の復興も、ひいては日本全体の活力の回復も、民間の活発な経済活動や、時代の変化を鋭く読み取る目を持った人々の新しい「アイデア」とその「実践」次第で決まるのであり、政府はただその補助の役割に徹するべきなのだ。古いやり方をいつまでも続けているような政府と、時にそれを無能と批判しつつも結局はそれにすがっているような人々が、新しい未来を切り拓くということはあり得ないのである。(今の自分に対する言葉でもあるが・・・)


ということで、前置きが長くなったが、上記の考えに基づき、自分は東北の被災地の支援のため、義捐金(震災直後には有効だが、中長期的な生活の立て直しには繋がらないし、「生活保護」的な性格を帯びてしまうと種々の問題が生じる)やボランティア(被災者の心のケア等で欠かせない存在だが、物理的・技術的に誰もが出来るとは限らず、継続は難しい)ではなく、「現地の産品を買う」という「経済活動」による方法を取ることにし、昨年1年間「復興デパート」というサイトを通じてそれを実践してきた。岩手、宮城、福島の東北3県の産品を買うに当たって、心がけた点は次の3点ある。


①食品であること
置き物やアクセサリーなどの「消費されないもの」だと、買ったものが増えて行き、買い続けられないため。食品なら、食べれば消えるので継続的に買い続けられる。買って楽しく、食べておいしい、というのも続ける動機になる。


②独自性や希少性のある商品であること
「魚詰め合わせ」のような近所の魚市場でも買える商品ではなく、そこでしか買えない(と思わせるだけの)付加価値のあるものでなければ産業の振興につながらないため。魅力的な商品を作るアイデアと情熱を持った「本気で仕事をしている会社」を支援し、育てるのが目的であり、購買行為は一種の「投資」だと思ってやっている。体力も発想力のない「ゾンビ企業」をただ生きながらえさせることは中長期的な地域振興に結び付かないので、魅力が感じられない商品は当然買わない。


③商品の価値に見合った手頃な価格であること
お情けの「被災地プレミアム」ではない、お店で並んでいても買おうと思えるような適切な価格設定でないと多くの人から買ってもらえないため。自分だけが支援しても復興には繋がらない。多くの人が買いたいと思うものが、手の届く価格で売られていることが、より多くの売り上げに繋がる。また、売り手と買い手として、あくまで対等な立場で取引をするためにも、プレミアムではない価格設定が重要だと考える。


次回の記事では、12年1月分から順に、買った商品をまとめて紹介していきたい。


(80分)


中編に続く