参政権 その2

先日、家にいたら、祖父から農業関係の反対運動への署名を求められた。そこには、弟と自分を除く家族4人の名前がすでに書かれていた。弟は未成年だから署名できないから、あと書いていないのはお前だけだと言われた。これに対して自分は、断固として署名には応じないという態度を表明し、自分の名前を書きたければ勝手に書いてくれと言って突き返した。自分が署名をしなかったのは、その反対運動の趣旨が自分の意見とは相容れないものであったからという以上に、署名は誰かに求められても容易く書いてはいけないものだという信念が強く抵抗したためというのが大きい。


「投票」「署名」「寄付(募金)」の3つは、政治的な行為であり、その選択・実行は個人の自由な意志に属するべきことであって、個人の誰かの指示の下で行われるべきではないものだと考えている。だから、選挙の組織票や、要求されての署名には、強い反発感を覚えずにはいられない。前の2つはともかく、最後の寄付は別にそれほど大それたことじゃないのではないかという意見もあるだろう。しかし、お金はこの社会におけるもっとも基本的かつ強大な通用力を持つ「力」である以上(国の権力の源泉はその予算の巨大さに他ならない)、自分と直接利害の関係ない部分において、安易にその力を分け与えるのは、自分にはどうしてもはばかられる。善意で投じたお金が、果たしてどんな使われ方をするのか、特に街頭募金などにおいては、全く確かめようがない。途上国にお金だけ送っても、その多くは貧しい人に届く前に現地の支配階層にかすめ取られてしまうという話も聞く。本当に支援するつもりなら、お金よりモノ、モノより人を直接送るべきだというのが、自分の考えである。


そんな信念を持つだけバカだ、あとでどうなっても知らないぞ・・・たとえそう脅されたとしても、自分は動じないだろう。これからも、ダメなものはダメという部分については、決して信念を失わない人間でありたいと思う。

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