受験勉強の価値

自分は今、弟のことをとても心配している。国立大学の二次試験が2週間後に迫っている大学受験の真っただ中にいるというのに、家では全然勉強していないのである。確かにこの直前期に至ってしまえば、もはや勉強よりも体調管理のほうがずっと大事だと言うことも出来るであろう。だが、弟はもっと以前から勉強していなかった。少なくとも家では勉強していなかった。部屋を覗くと、10回中10回はゲームやネットで遊んでいた。今日も、「MHP3、やれてないんでしょ?」と、さも「PSPを使ってないなら俺にやらせろ」と言わんばかりに恨めしそうな言葉を口にしていたのでほとほと呆れてしまった。


自分が受験生の時は、高校3年生の8月以降は自主的に「ゲーム禁止令」を出して、他にも娯楽を禁じて、受験勉強のために時間とエネルギーを注ぐための環境を作ることに努力したものだった。今考えると古くさいやりかただし、ムチばかりでアメがなかったため必ずしも勉強時間が増えたわけではなかったのだが、それほどまでに切迫感と危機感を持って、大学受験に向き合っていた。だが、弟にはそうした覚悟がどうも感じられない。これで成績が悪いなら、「真剣にやれ!」と文句の言いようもあるのだが、たちが悪いことに弟はなかなかに成績がいい。少なくとも模試では結構上位の部類に入るらしく、センター試験では85%前後を得点していて、特に数学2科目では両方とも100点満点だった(自分が受けたときは2科目合わせても100点に達しなかった。総合得点でも弟よりずいぶん劣る)というのだから、多少癪ではあるが理系としてかなりの実力を有していることは認めざるをえない。必死をこいて勉強をしなくても、弟には学校の授業での勉強だけで十分なのだろう。もしかしたら家でも見えないところで、また学校で放課後にも勉強していたのかと思って聞いてみたのだが、やはり授業のほかはあまりやっていなかったらしい。塾で東進の講義をネット配信で見て勉強するサービスに登録しているものの、あんまりにも見ないものだから、頻繁に塾から電話がかかってくる有り様だったことも、その証拠の一つだろう。とにかく、弟は、特段勉強しなくても、希望校(関東地方の国立大)に合格できると思っていて、実際その自信を裏付けるだけの実力を有しているようである。


受験勉強が「大学合格」という結果を得るための単なる手段にすぎないのなら、弟のように最小の労力で目指す結果を獲得しようとすることは極めて経済的で合理的であると言える。しかし、受験勉強というのは、ただ合格するための手段でしかないのだろうか。いや自分はそうは思わない。自分は、合格するか否かという結果とは別にその行為自体に価値があると思うし、むしろ受験勉強というプロセスのほうにこそ、最終的な結果より重要な価値が秘められているのではないかとさえ思う。すなわち、自分を律して好きなことを我慢し、粉骨砕身努力して勉強し、出来ることを最大限までやりつくして、自分の能力の限界を試すというプロセスを通して精神的に強く成長することや、なぜこんな勉強をしなければいけないのか、この大変な試験を乗り越えて大学に合格することが出来た暁に、大学で一体何をするのかといったことを悩み、自分なりに深く考えること、そうしたことこそが受験勉強から得られる結果以上に大きな価値だと自分は信じている。残念ながら、自分が受験勉強にそうした効用があるという考えを持つに至ったのは、大学に合格して1カ月ほど後になってのことだった。自分は高校時代あまりに勉強をせず、受験勉強の時期になって慌てて勉強を始めたものの、目的意識が明確ではなかったため真剣になりきれず、結局自分の限界まで突き詰めるより前に試験日になってしまったといういきさつがあった。そのため、志望校に合格こそ出来たものの、大学受験において「やりきった」という達成感がなく、それゆえあまり明確な喜びもなく、入学後はモヤモヤした感じが頭を覆っていた。そうしてサークルやバイトにも興味を持てずに、不毛な引きこもり生活に身を投じてしまった結果が、今の体たらくである。弟には自分と同じ轍は踏んでほしくない・・・。兄としては、勉強をしない弟を見るにつけ、ついそんな心配をしてしまわずにはいられないのである。


ただ、弟が自分と決定的に違うところが一つある。それは、大学卒業後に「教員になる」という明確な進路を描いていることだ。だから、何のために大学に進むのかといった疑問は感じていないようだし、大学入学後に何をするかということもすでに現実的に考えている。それはそれでとてもいいことだと思うが、実際には進路というのは、自分の思い通りに実現するとは限らないし、高校生の時点で確信しているものが、4年後にもそのまま持続しているかどうかは分からない。大学生になってから新たな道に興味を持つかもしれないし、自分のように運の巡り合わせで思いもよらなかった道に進むということも非常によくあることだ。自分の将来の展望を持っていることは素晴らしいことだが、進路を明確に設定して疑わないあまり、自分の適性という問題を排除したり、職業観をはぐくむ機会を逃したりすることのないようにしてほしいものだ。大学入学も、就職も、スタートに過ぎず、「その後」こそが大事だということを、弟はきっと分かっているとは思うが、それでもなお口ずっぱく何度も言って聞かせたいと思っている。

(75分)