残業論

残業は原則的にしないほうがいい、というのが自分のスタンスだ。遅くまで仕事をして翌日に疲れやストレスを引き継ぐのは、自分の心身にとって負担となるし、コンディションが乱れれば周りにも迷惑を掛け兼ねない。大概の仕事というのは、スピードや効率が求められるものであるが、それ以前に大前提として「ミスなく」「確実に」実行するということも非常に重要なことである。そのように仕事を行うためには、心身ともに日々万全なコンディションを保つことが重要であり、一日一日ごとにしっかり体を休める時間を設けることが必要である。それゆえ、終業後は残業はせずなるべく早く帰宅すべきである、というのが自分の立場で、実際そのように行動しているつもりである。超勤簿は今のところ2hしかつけていないし、終業後1hくらいしたら退勤するというのが定着しつつある。


ただし実際世の中の人がみなそのように行かないということは分かっている。夜回りみたいに夜にしか出来ない仕事もあるし、繁忙期や年度末など時期的にどっと仕事が入る場合には、遅くまで残ってやらなければいけないというのも止むを得ざるところだ。自分だって今は分掌業務が少なくかつ自律的に行える仕事が中心だから自分のスタイルを実践していられるが、この先任される業務が増えていったら果たしてそのように行くか分からないし、センター入試の時期には入試課でない職員も土日に総動員されることになる。だから残業がホワイトカラーの非効率の象徴だとか、サビ残は資本家の搾取だなどと十把一絡げに断じるつもりはない。ただそれでも、「ワークライフバランス」という観念は誰しも念頭に置いておくべきじゃないかとは思っている。このキーワードは去年の国Ⅱの論文試験のテーマだったので、これを見るたびに「時間がなくて論文を半分しか書けなかったんだよな」と思い出すのだが、まあそれはそれとして、仕事と私生活とは人生における車の両輪であるという意識は大切であるはずだ。ただお金を稼ぐためだけに、老後の憂いを絶つために仕事をしているんじゃ虚しいし、給料は我慢料状態で私生活だけが自分が自分でいられる時間というのでも何だか悲しい。どっちも充実させ両立してこそ、豊かな人生というものがありうるのではないだろうかと、自分は思うのである。自分は「子孫に美田を残さず」の考え方で死ぬときまでにはお金や財産は使い果たして置きたいと思っているので、あまりお金を稼ぐことに躍起になる気が起きない。「国大職員は給料が安いから残業代で稼がないと」なんて言われてもピンと来ないし、毎日帰宅が遅くなってはブログの更新がストップしてしまうから困ってしまう。今の仕事は割とシンプルで定型的であるものの結構楽しいが、それでも私生活と仕事とは区別したいし、どっちも等しく大事にしたいという思いが勝る。場合によっては始業を早め、昼休みの時間を割いてでも、なるべく早く帰るようにしたい。やはりそのスタンスは今後も変わらないだろう。


大学側としても、「残業はなるべくせず定時に帰れ」というのが基本姿勢であり、毎週水曜は「ノー残業デー」とされている(それでも多くの人が残業しているので、声かけだけで有名無実な感もあるのだが)。その実現のために1つ過激なアイデアを言わせて貰いたい。それは「残業するほど給料が下がる仕組みにすればいい」ということだ。少し詳しく述べると、超勤手当の代わりに定時手当(残業40時間分の金額)をつけて、退勤が遅れれば遅れるほどこれが減っていく仕組みにするということで、これがあれば少なくとも何となく残業する、あるいは超勤手当目当てに残業するというケースはほとんど解消できるのではないかと思っている。ただこれは現状では労働基準法的に不可能だし、いざ実施したら実施したで、どうやって退勤した時刻を認定するのかとか、色々と制度の運用面での問題や抜け穴が生じてくるのも目に見えている。だからこれは現状ではあくまで戯言の1つということにしかならない。でも、それぐらいの劇的な制度的変革がなければ、長時間仕事をすることが美徳であると思っている人々の意識というのは覆せないのではないだろうか。自分が日本の賃金・労働制度に関して大きな不満があるのは、1つがこの残業の常態化で、もう1つが退職金制度である。退職金制度は労働者に長い間1つの会社・組織で勤務してもらうためのインセンティブとして設けられた制度であるが、これが人材の流動化を阻み、組織の硬直化を招いているのもまた事実。企業にとっても大きな額のお金を使えない状態で積み立てておかなければならないのは負担であり、財務上の柔軟性を損ねることにもなる。したがって退職金制度は廃止して、その分を月々の基本給に振り分けるべきであると自分は考える。そうすれば、給与水準の低い若者にとって特に大きなメリットがある。まとまったお金が手に入れば消費は活性化されるし、子育てなどでお金が必要な時期にきちんとそれを給料でまかなうことができれば、子どもを持つことの金銭的不安が軽減され、少子化の進展を抑制する一要因ともなりうる。何より、転職が容易になるから、若者の安定志向と萎縮傾向を打破できる可能性が高まる。企業だって将来の大出費に備えなくてよくなる分、財務的に身軽になり、経営上の自由度も高まるはずだ。企業にも、個人にも、「宵越しの金は持たない」の楽観的な精神がもっと広まることを願う。


残業論から退職金論に飛び火してしまったせいで随分長くなってしまったが、今回の記事は以上である。書きたいことを好きなように書き並べるとやっぱり気持ちがすっきりしていいものだな。今後も、こういう駄文を書ける時間を大切にしていきたいと思う。

20日1:08執筆、65分+10分)