容疑者

昨日、仕事帰りに本屋に寄って、店内を歩き回りながら本棚を何となく眺めていたら、「一晩で5冊本を読む速読術」みたいなタイトルの本が目に留まった。そこには速読の本がずらりと並んでいた。


近ごろ、何だかブームのような様相を呈している速読。しかし、本当に速読術なんてあるのか?という懐疑的な見方が、その瞬間、頭をよぎった。本当に1分で1万字とかいう速度で速読されたら、本屋で数十分立ち読みするだけで本を読めるのだから、本(特に雑誌)は買われなくなってしまうではないか。そんな出版不況に追い討ちをかけるような技術が、こんなに大っぴらにされるはずがない・・・そう思ったのである。ということで、自分はその時に、速読はアフィリエイトと同じだと考えることにした。つまり、ほとんどの人にとっては実践不可能で利益にならないもの、人々を煽りたて旗を振る人のみが得するもの、ということだ。本というのは、そんなに一つ一つがオリジナリティのあることばかり書いてあるわけではない。他の本から引用した部分や、アイデアのヒントを得た部分などがたくさんあり、たくさんの本を読めば読むほど、新たに得られる知識や、物語の新鮮さというのは薄れていくと自分は考える。なぜなら有用性のあるアイデアというのは有限であり、いつまでも際限なく斬新で画期的に面白い作品というのが量産され続けるということはありえないからである。アイデアの絶対量が一定なら、少しずつ味わって長く楽しんだほうがいいと自分は考える。よって自分は今後も今までどおりゆっくりと本を読むだろう。本を読んでいるときの、ゆったりとした時間の流れもまた、読書という娯楽の一要素なのだから。

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