再会

今日は、昼前に大学時代の友人Sが訪ねてきてくれた。帰省していた下越の実家から、車でわざわざ来てくれたのである。待ち合わせ場所のショッピングセンターの駐車場で合流すると、彼を自分の車に乗せて上越の名所を観光して回った。彼とは卒業式以来、一ヶ月ちょいぶりの再会だったが、当時と変わらない調子で何気なく会話できたのでよかった。


車であちこち走って回ったが、その間お互いの仕事のことや生活のことについて話せ、貴重な時間を持てた。属する組織は似たようなものだが、中の文化とかは結構違うところもあるんだなぁ、と相違点を発見した反面、これから何を目標に頑張っていけばいいんだろうなぁ、特に欲しいものもないし、という共通の認識があることも明らかとなった。また彼が一人暮らしに困惑することを想像していたのに料理なんかするくらいに思いがけずすっと順応していたので意表をつかれたのと同時に、実家で何から何まで家族に丸投げしている自分が、楽をしすぎていることを少々反省させられた。まあ現状と将来へのもやもや感はあるにせよ、お互いそんなに悩んでいるわけでも、悲観しているわけでもなかったので、基本的にはその場その場で他愛もないことを話していた。以降では、訪れた場所を行った順に紹介することとする。


①オーモリ
まず行ったのは、ラーメン屋のオーモリだった。自分が小さい頃から馴染んできた店である。家族でラーメン屋へ行くときは選択肢が2つくらいしかなく、大抵はここへ来ていた。ちょうど昼時だったのが幸い座敷のテーブルが空いており、自分はラーメン、Sは岩ノリラーメンを頼んだ。彼はあまり味に満足していないようだったが、それはまあしょうがない。自分の街を紹介することが目的だから、好むと好まざるの問題は二の次である。ささっと食事を済ませ、外へ出た。


高田公園
次に向かったのは、桜の名所として全国的に知られる高田公園だった。すでに桜は散っていたが、それでも多くの人が公園を歩いていた。また遊具の周りは家族連れで賑わい、ちびっ子が元気にはしゃぎまわっていた。人がいなくて、もっと仲間が大勢だったら遊びたかった、みたいな言葉をSは漏らしていた。高田城を外観だけ見せ、自分の母校の高校もちょっとだけ見せた。高校は中にも入れそうだったが、現在の校舎は卒業後に新築されたものであり案内できなかったのでやめておいた。今日は非常に暑かったので、ここに限らず、そそくさと周って車に戻る感じだった。窓を開ける代わりにいつもはつけないエアコンをつけたので(窓を開けて走ると虫とか砂埃が入ってきそうで嫌なのである)、燃費は多分いつもより悪かった。ただ、今回の平均燃費は、後述の理由により最高で16.4km/Lまで上昇、最終的にも16km/Lで終わり、結構良かった。とはいえたくさん走ったので、消費した燃料自体は多かった。

↑高田城。復元城なのでほんのこじんまりとしたものである


③金谷山
それから金谷山に行った。日本にスキーを伝えたオーストリアのレルヒ少佐が、国内で初めてスキーを披露したのがこの山だったと伝えられている(が、最近では異説もある)。山というより丘レベルの低い山だが、ボブスレーが営業しており、芝生の敷地が整備されていることから、バーベキューをする家族連れなどでにぎわっていた。焼肉のいい香りがして、少しだけうらやましかった。

↑リフトで上って、ボブスレーで山を滑り降りることが出来る

↑高田平野の景色がよく見渡せた

↑レルヒ少佐の銅像。当時のスキーはストックが一本だった


④某大学
自分の勤める大学を案内した。といっても、休日で人の姿はほとんどなく、建物内にはほとんど入れなかったので、構内の敷地を歩いてみただけだった。色々と職場の比較の話が出来て面白かった。


春日山城
上越といえば、なんといっても上杉謙信である。謙信公は上越春日山に城を構えていたので、上越の人はみな彼のことを尊敬し、誇りに思っている。山城だったし上杉家は謙信公の次の代に米沢に移ったので、春日山城には建物などは全く残っていない。それが少々残念なところだ。城跡の遺構を巡れば結構距離が歩くことになるのだが、今回は春日山神社でお参りしただけで退散した。


林泉寺
続いて向かったのは上杉家の菩提寺である林泉寺。さっきの城跡とここは、ふもとからの無料シャトルバスに乗って行った。山は駐車するスペースが少ないし、すれ違うのも大変だろうと思ったからである。その選択は正解だった。ここでは謙信公のお墓をお参りして、博物館で鎧兜(ほとんどは複製)や当時の書物などの展示物を見た。謙信公の書いた字が達筆だったのと、花押(当時の武将が使っていたサインみたいなもの)が洗練されたデザインでかっこよかったのがさすがだと思った。当時の刀でもあればなおよかったのだが、そういうのはおそらく米沢にあるのだろう。とはいえ500円の拝観料分の価値は十分にあると感じた。


↑大きな門。戦国当時のものなのかと思っていたが、大正時代に再建されたものとのことで、ちょっと残念

↑境内は緑が鮮やかで結構きれいだった

↑謙信公のお墓。苔むしていて長い時間の流れを感じた


マリンドリーム能生
Sが「今朝テレビでここが紹介されていて、かにが食いたくなった」というので、今度は糸魚川市のマリンピア能生という施設に行った。本当は建設中の火力発電所の近くに行こうかと思ったのだが、道が分からなかったので周辺をうろついた後で取りやめになった。下道で糸魚川はさすがにちょっと遠いと感じたが、海沿いを車で駆け抜けるのは気持ちよかった。行ってみると、テレビ効果なのか、猛烈に混雑していて、駐車するまでに10分くらいかかってしまった。そうして苦労してかにの並ぶ市場に着いたのだが、「やっぱりかには高い」ということで、結局かには食べなかった。全く何しにここまで来たんだか。ほかにも海産物がたくさん売っていたが、そんなものを買いに来たわけでもないので、ちらっと眺めてみただけ。これで帰るかとも思ったが、そこでたまたま行列の出来ている「いか焼き」というのを目にしてちょっと興味を持った。いかの胴が丸ごと串焼きにされているのが一本400円。割と安いと思って食欲がわいたので、10分並んで買ってみた。しかし行列の出来る店ほど、実際食べてみるとイマイチというのが世の常。串に刺さったいかは思った以上にかじりづらく、また思ったより身が固く、食べ辛さが災いして、期待していたほどの効用は得られなかった。自分にはこの食べ物はちょっとワイルド過ぎた。自分は完食出来なかったので、袋に入れて持ち帰ることになった。今回は日帰りなんだろうなと思っていたのだが、向こうは酒を飲むつもりで来ていたことがここで明らかとなり、今夜は実家に泊まってもらうことに決まった。

↑味付けが薄いのも残念な点だった


北陸道上信越道
Sが富山の県境まで行きたいというので、能生からさらに西に進んで青海のほうまで行った。その途中には、かつて交通の難所として知られた親不知があり、トンネル+急なカーブの連続で、車にとっても結構大変なところだった。特にあるトンネルではカーブの途中で、対向車線から、事故車を追い越そうとして反対車線に大きくはみ出したトレーラーと鉢合わせたので、危うく正面衝突で事故るところだった。肝を冷やしたのはトレーラーのほうも同じだったろうが、普通車とトレーラーではこちらに勝ち目はない。全く危なかった。すでに日は傾いており、自分としてはもうさっさと引き上げたかったので、親不知ICから北陸道に乗り引き返すことになった。こちらもトンネル続きではあったが、道は混雑しておらず運転は快適だった。やがて上越JCTに差し掛かったが、ここで1つ問題が生じた。上信越道は渋滞しているというので、北陸道上越ICで降りるのがベストだったのだが、Sが「渋滞を体験してみたい」という妙なことを言い出したので、迷いが生じてしまったのである。運転している側としては、高速道でのろのろ走るなんてイライラする上、燃料も無駄になるのでたまったものではないのだが、「こんな田舎だし、渋滞といったってちょっとだけだろ」と甘く見て、結局上信越道に入ることになった。これは全く本当に単なる無駄でしかなかった。本当に混んでいて、にっちもさっちも進まない。入った瞬間に、自分の選択を後悔したし、颯爽と追い抜いていくバイクが恨めしくもあったが、彼は「家族連れにとっては、むしろ普段中々取れない家族の会話の時間が出来て楽しいらしい」などと口にし、飄々としていた。上越高田ICまでの5kmほどの区間を走るのに、30分近くも要してしまったが、IC近くで少し流れがよくなっていなかったら、もう15分はかかっていたことだろう。混雑解消のため、早く片側二車線化工事を進めて欲しいものである。


⑨家
高速を降りると、最初に合流したショッピングセンターまで戻った。これで上越をぐるりと一回りしたわけだ。時刻は19時。店で飲むか、宅飲みかということを決めなくてはならなくなったが、外で飲むにもいい店など知らないし、これから飲むとなると家族に迎えに来てもらうのは21時、22時ということになる。迷惑を掛けるのはよくない。そう思って、宅飲みに決定。そのままショッピングセンターに入り、中で食材とビールを買った。ここらへんは、本当に学生時代のまんまだなと思って、何だか懐かしくておかしかった。今日のことについては詳しいことを話していなかったので、実家に着くと家族は驚いていたが、飲むのも泊めるのも自分の部屋だったので、大して負担や迷惑はかけなかったと思う。昼間からあちこち回って少し疲れていたし、話すことは大体もう話してしまっていたので、ここで特に盛り上がるということはなかったし、彼が騒ぐといったことも幸いなかった(家族に配慮していたのかもしれない)。それだけに特に印象にも残っていないのだが、それだけやんわりと落ち着いた雰囲気で飲めたということだろうから、結構良かったのではないかと思う。

↑調理は母にやってもらった。自分は楽をし過ぎた

↑梅酒を飲むのは久しぶりだった。自分は酒の中では梅酒が一番好きだ。ビールが本当においしいのは一口目だけだが、梅酒は限界効用が逓減しない


アパートのときよりはずっとすっきりしているとはいえ、人を呼ぶには、もうちょっと、自分の部屋の整理とインテリアへの工夫が必要だろうな、と思った。まあ今回のところは仕方ない。今後はそういうことにも少しお金を回してみるとしよう。今日はとても楽しく思い出深い一日だった。

(30分+140分)
※3日夜、写真とわずかな文章のみの状態で掲載。ほとんどの文章は4日夕方に書き、大幅に内容を増やし完成させ、正式に掲載した。