終わり待つ日々の中で

今日は近所のスーパーに行く以外外出せず、一日部屋で過ごした。


テレビが届くまでに部屋の模様替えと、モノの整理整頓をしなければならないと思い、午後からずっとテレビをつけっぱなしにして諸々の作業をしていたのだった。


部屋の中にはあまりにも紙が多かったが(何かをメモしたものとか公務員試験関係の資料など)、資料的価値から捨てるのはためらわれたため、それらの多くはファイリングすることになった。それゆえ整理作業は遅々として進まなかった。


でも別にいいのだ。今日は「ながら」でテレビを見たのが面白かったから。普段絶対見ないJ1の試合の中継とか、占いについての新たな視点を得られたたけしの番組とか、何でも鑑定団とか、時代劇とか、シベリアの空飛ぶ消防士の話とか、ゴミ屋敷の深刻化でゴミ撤去ビジネスまで登場してることとか・・・普段ニュース系番組以外まともに見ない自分にとっては、どれも発見と刺激に満ちていて、なかなか楽しめた。部屋にいるのは非生産的だと思っていたが、たまにはこういう悠々自適とした、ゆったりとした過ごし方もいいものだ。「たまに」だからいいのだろう。


今日は篭っていたので昼飯と夕飯も自分で作った。昼はチャーハン。夜は一昨日の余った材料を使って、再び餃子を作った。皮は無かったのでこれだけは買い足した。



肉の消費期限が切れていたせいか、それとも材料や調味料の分量が適当だったせいか、食感や味はいまいち。前ほどおいしく感じなかったし、見てくれも悪かったが、それでもビールとよく合ったのでまあいいやと思ってバクバク口に放り込んだ。結局1人で18個平らげて完食。野菜はポテトサラダだけだというのにこれでは、体に悪かろう。でも一人で晩酌することなどまずないのでこれくらいはいいのではないかと思う。餃子の味はともかくとして、「あ、俺、こんなふうに一人で飲んでもいい身分になったんだ」と自分が10日ばかり前に得た精神的自由の偉大さに改めて気付いて、心が軽やかな気分になったのが異様に楽しかった。


でも。


でも、500mlのビールもどき一本で酔っ払える訳も無く。日課にしている友人のブログのチェックをして、そこで卒業について触れられているのを見て、何だかしんみりした気分になった。折りしも日中の作業で部屋の中から入学当時にもらった冊子とか、幼稚さと無知丸出しの当時の文章などが見つかっていたので、否が応にも4年間の自分の生活、いや人生について思いを馳せさせられた。


4年間は自分にとってはひどく長いものだった。それ以前のことが思い出せなくなるくらい長かった。もはや自分は生まれてこの方、ずっと大学で一人暮らしをしてきたのではないかというような気がしさえするほど、大学での自由度の極めて高い生活にすっかり慣れきってしまった。でもそれが決して快適だったわけではなく、自分にとって実りあるものだったわけでもない。他の人に比べればやっていないこと、やり残したことだらけだが、もう一度大学生をしたいとは(少なくとも大学生活を送りたいとは)全く思わない。つまり名残惜しさは全くない。


自分の大学生活。それは例えれば、ほとんど一直線の殺風景な道をひたすらマラソンし続けてきたような感じだった。ゴールが見えなくて一向にそれに近づいている実感がないし、気を紛らわすような風景の変化もないから退屈で、ときには苦痛で仕方ない。ゴールにたどり着くことだけを目的にただ走るから、ゴールが待ち遠しくて仕方ない。そんな感じだ。


だからといって、それが災難だったのかといえばそんなことはない。自分はマラソンは嫌いではない。完走したときの達成感がその醍醐味だからだ。幸いにもゴールは見えてきた。それが今の自分にとっての希望であり、一番の心の支えだ。また景色が殺風景であったがゆえに、たまに現れるわずかな変化に人一倍嬉しさと楽しさとを感じることが出来たのも事実だ。量より質とはよく言ったもの。量は誰の目にも明らかな絶対的基準だが、質は自分の捉え方次第でその価値はどうとでも変えられる。だから自分が経験したものが少ないからといって、自分の人生に価値がないとは思わない・・・と思うことが可能だ。自分さえ価値を認めれば、それでいいのだ。わが道を行くこと、それも合理主義的裏づけがあれば一つの「エコ」だろう。スタンダードとは逸脱した考え方のほうが、自分の性にあっている。まあ、それは決して「型破り」にはなりえない、「型崩れ」でしかないのだということは分かっている。でも自分を「その程度」と分かっているから、自分を過信することもないし、心底絶望することもない。とにかく、自分はそれでいいのだ。


自分は今、幸せだ。とても幸せだと感じている。少なくとも過去4年間で、今が一番充実感を感じられていると思う。ゴールの先にまた次のスタートが待ち受けていることが嬉しいから、ただ走るだけでも楽しくて仕方がない。昔は変化が無いのがいいと思っていた。今の友達とずっと過ごせれば楽しいのに、卒業なんてしたくないと。でもそれは間違っていた。同じところを走り続けて、いつまでもゴールが見えないんじゃ途中で走りつかれてしまう。何度もゴールとスタートを繰り返して、新たな変化に刺激を受けて次を目指そうとするからこそ人は走り続けられるし、幸せを感じられる。何より同じところに留まっていたら、多くの人に出会えずに終わってしまう。それほど悲しいことはない。変化を受け入れて初めて出会いは訪れるものだ。別れを拒むことは、お互いにとって不幸せを招くことともなりうる。


だから、大学の友人たちとも、笑ってサヨナラできればいいなぁ。

(90分)