新章

ついに内定が出た。


自分にではない。友人のSにだ。


今日、二人で一緒にある機関の面接を受けに行き、帰りの新幹線に乗る間際、彼に内定を知らせる電話が鳴ったのである。


電話を終えた彼がきょとんとして、「内定出た」と言ったとき、自分は一体どんな顔をしていただろう。


多分、間の抜けたような、その言葉に特に反応を示してないような、そんなだったのではなかろうか。


そのとき、自分は困惑していた。自分より後に面接を受けた彼にだけ電話が来たということは、彼が受かって、自分は落ちたということに他ならない。その歴然たる差異。彼と自分との間に漂っていた、「無い内定」というゆるい連帯感と共感が、一瞬にして消え去って、彼が急に遠くに行ってしまったように思えた。何が何だか、この事実をどう自分の中に落とし込めばいいのか、分からなかった。


「おめでとう」という言葉が出たのは、しばらくたってからだったように思う。思い出したように、それを口にした。これまで3年半付き合ってきて、夏からは同じ境遇の中で辛酸を舐めあった仲である彼に対して、それは祝福の体をなしていなかった。


彼自身も困惑していたようだ。志望動機もそんなに練ったものではないし、面接の出来もこれまでと特に変わらなかったのに、まさか内定が出るとは・・・といった様子だった。就職の決まらない閉塞感から抜け出ることを待ち望んでいたはずなのに、「でもつくばはなぁ・・・。東京だったらよかったんだけど」と素直に喜べていなかった。「これが内定ブルーってやつか」と溜息をついていた。


この面接には、彼の誘いで受けに来ていた。


「君を巻き込んどいて、自分だけ抜け駆けするのは何だか忍びないな。いやそれは変か」


それはそうだ。彼は彼、自分は自分。二人揃って仲良く内定なんて、甘っちょろい期待など元から持っていない。自分の行動は自分の責任で決めるもの。彼は結果を誇ってみせてしかるべきだった。だが、彼は自分が中空に視線を泳がせている様子を見て、言葉をつぐんだ。


帰りの新幹線の中、互いの間の空席は沈黙という名の荷物でふさがっていた。




考えてみれば、同じ面接を受けに行って、同じ基準で秤にかけられたら、彼が受かり、自分が落ちるのは当然の話だった。


彼はこれまで20回以上面接を受け、場数を踏んで、経験を積み重ねてきた。対する自分は、これがやっと5回目だった。どんな質問にも慌てず落ち着いて受け答え出来ることが結果にプラスの影響を与える。彼が内定後語った「やっぱり面接は慣れだな」という言葉も、それを証明していた。


そもそも彼は「積み上げてきた人間」だった。大学に入ってから、人並みにサークル活動をし、人並みにバイトをしてお金を稼いで、人並みに授業をサボって、様々な人とかかわりを持ち、人の間でもまれ、人から自分の価値を試される経験を十分積み上げてきた。サークルもバイトも面倒がり、友人関係も、趣味も勉学も本気で向き合おうとしてこなかった自分とは、はなから立場が異なるのだ。


彼はそうした経験がバックボーンとしてあるから、人と関わる中で見えた客観的な「自分」を、エピソードと説得力を持たせて語ることが出来た。面接のやり取りの中で、自分という人間の姿かたち、自分の人格の輪郭を、手触りを確かめられるほどに伝ええたのだ。


自分はといえば、ただ単に「何をした」と答えるばかりで、そこから人との関係性に話が及ばず、さっぱり「顔」が見えてこない。これではおよそ勝負にならない。彼の優位は圧倒的だ。


基本的に文系学生の新卒採用では、特定のスキルや資格、専門分野など必要ない。みな「手ぶら」の状態で受験することになるのだから、当然そこで見られるのは「中身」。すなわち人柄だ。面接で試されているのは、ほとんど人柄に好感が持てるかどうかということだけ。熱意と、可能性と、人柄。それでもう全てだ。


自分はその人柄を全然伝えられていなかった。今冷静に見つめなおすと、それは確信を持っていえる。その上、受け答えに自信がなく、話す内容も的を射ておらず、言葉遣いも決して適切とは言いがたいものだった。そもそも採用するかどうか検討する土俵にすら登れていなかったのだ。柱に向かって滑稽な独り相撲を演じていただけだったのである。


それが、彼と自分との結果の差の、理由だった。




結局、彼と自分の立場が決定的に不可逆的に変化して、自分にもたらされたものは、「内定にまぐれはない」という教訓だといえる。


人を相手に努力した人は、多少ミスを重ねようとも、必ずどこかで誰かから認められる。向き合う対象に対して、誠実であればあるほど、それは早まる。


反対に、努力を怠った人は、何をどうしようが決して認められない。認められるはずが無い。「自分は人とは違う」などという思い上がりや、根拠の無い自信があるほど、人から遠ざけられる。


後者である自分は、とにかく人に対して、誠実に自分をぶつけてみせることでしか、この窮地を脱することは不可能であると思われる。具体的に言えば、「多くの人と多くの関わりと持て」ということだ。たったそれだけのことが、しかし、自分は出来なかった。


次の別機関の面接は今週の金曜日にある。だが、その後の予定はない。


この面接だけは何としても、受からねばならない。材料が無いなりに、精一杯自分を料理して、自分の味を披露してみせる他ない。何としても、何としても、自分も「向こう側」へ行きたい。彼と同じ味の酒を飲みたい。


もうあまりにも時間が無いが、全力でじたばたしようと、強く心に誓った。


ここから、自分の新たなステージが始まる。始まるのだ。きっと。

(100分)