帰らぬ人

同郷の友人N君を部屋に招いて、0時前まで遊んでいた。彼が帰った後、そのことについてでもブログを書こうかと思いパソコンを立ち上げた。自分のブログを書く前に、まずは日課であるY君のブログのチェックずることにした。今日は彼は何してたのかな、程度の軽い気持ちで彼のブログを開いた。そしたら…「フジファブリックの志村が死んだ」と書いてあった。


え、と思った。まさか、と思った。何で、どうして、本当に?…自分は困惑した。すぐにネットで「フジファブリック」と検索したら、ニュースサイトに掲載されていた。彼の訃報が掲載されていた。24日に死去。死因は不詳だと。そこに至って、ようやく強烈な悲しみがこみ上げてきた。冗談じゃない、彼はまだまだこれからだったのに、こんな若さで、こんなところで終る人間じゃなかったのに、もっと彼の新しい曲を聴きたかったのに、もう永遠に聴けないなんてあんまりだ!…部屋にはさっきフジファブリックの曲をかけ始めたばかりだった。ちょうど、「虫の祭り」が流れていた。
「『あなたは一人で居られるから』と残されたこの部屋の 揺れるカーテンの隙間からは入り込む虫達の声」
あんまりだ、一人で行っちゃうなんてあんまりだよ!志村!…心の中で、声にならぬ声で、そう強く叫んだ。


フジファブリックの曲を初めて聴いたのは、今年の3月23日のことだった。きっかけは、Y君からニコ動にアップされた曲を紹介されたこと。全ての曲が新鮮で衝撃的だった。すぐにその魅力に取り憑かれた自分は、翌々日にはアルバム3枚をまとめ買いしていた。それから半年間、フジファブリックを聴かない日はないほど何度も何度もそれを聴いた。新しく出たアルバムも買った。アルバムだけでは飽き足らずシングルも全部買い集めた。新潟でのライブにも足を運んだ。それが自分の行った初めてのライブだった。特定のアーティストのことをこんなに強く好きになったことはなかった。とにかくフジファブリックが大好きだった。しょっちゅう口ずさんでいた。楽しいときも悲しいときも、フジファブリックを聴いていた。iPodを介して、いつも身近にいるように感じていた。でも今日からは、それが全て過去になってしまうのだ。現在進行形だったのが、過去完了形に。スピーカー越しに志村の声を聴いても、もはや現実に彼はいないのだと思うと、今までと同じ気持ちで聴くことは出来なかった。「今は亡き志村の声」という意識から逃れることが出来なかった。でもその意識が同時に聴き慣れた曲に新たな深みを与えてもいて、それが一層悲しかった。


身内知り合い以外の人間の死について、これほど衝撃を受けたのは初めてだった。これほど死んでしまったことを惜しんだのも初めてだった。これほど強く人死のあっけなさを意識させられたのも初めてだった。志村の死の「あっけなさ」は唐突であったがゆえに強烈だった。それだけに受け入れがたかった。でも現に、彼はもう帰らぬ人になってしまった。それは受け入れなければならない現実だ。自分にとって、フジファブリックは志村そのものだった。作詞、作曲、ボーカルを務める志村こそがフジファブリックだった。彼亡き今、残されたメンバーには申し訳ないが、自分にとってのフジファブリックもまた過去の存在とならざるを得ない。これからもずっとフジファブリックを好きでいると思うけれど、ずっと聴き続けると思うけれど、でも自分の中でのフジファブリックは24日で解散してしまったのだ。


彼の楽曲があれほど強く自分の心を掴んだのは、彼の短い命の一瞬の輝きがあまりにも眩しかったからかもしれない。彼が残した楽曲、彼の成した仕事は、まさに彼が命を削って世に送り出したものだったのだ。彼はもはやこの世にはいないけれど、彼のことは今後も忘れ去られてはいけない。彼の命が宿った一曲一曲を聴き続け、光り輝くその一つ一つの素晴らしさを語り継ぐことが、彼のために出来る唯一の恩返しだと思う。自分もいつ死ぬかわからない、自分の身近な人も本当にいついなくなってしまうかわからない。今自分が留まっている瞬間があまりにもおぼろげな壊れやすいものであるかということを、この出来事をもって深く考えさせられた。それによって時間をいとおしむ気持ちが一層強くなったように感じる。彼への感謝の気持ちを忘れず、彼の残した楽曲と共に、これからの人生を一歩一歩踏みしめて進んで行きたいと思う。


志村、今までありがとう。本当にありがとう。俺は絶対、忘れないからね。

(95分)