世の中には「○○の三禁」みたいに、それに属する人がやってはならないこと、忌むべきことが決められている場合がある。
検索すると色々と面白いのが出てくるのでぜひ自分の目で確かめてみて欲しい。
で、自分の中でも「三禁」があるのだが、それは
「喫煙、ギャンブル、借金」
の3つということになっている。
この3つに共通することは、「ハマりこむと時間とお金を浪費し、人生をいたずらに消耗する」ということだ。
これらの不毛さ、あるいは空しさは説明を必要としないだろう。
自分はいいことでも悪いことでも、一度ハマリこむと、自力ではやめることが出来ず、いつまでも続けてしまうという性質がある。
つまり、悪いことに手を出すととことんダメになるタイプの人間なのだ。
それゆえ、有害性を学ぶことによってひたすらタバコを忌避し、そのにおいを嫌い、誰が「吸いなよ」と言っても必ず断ってきた。副流煙は吸っても、主流煙は決して吸いたくなかった。
またパチンコも一度も打ったことはない。
さて、喫煙とギャンブルに比べて、借金は少し次元のことなるものだといえるだろう。
前者二つが、「なくてもいい」ものなのに対して、金の貸し借りというのは、経済を円滑に回すために大きく寄与していて、社会の発展にも「欠かせない」ものだからだ。
例えば、銀行の貸付や、住宅ローン、奨学金、クレジットカードの分割払いといったものが無ければ、市場での取引は大きく減少するし、企業は思うように事業を進められなくなる。
だから健全な域、意味での借金は社会にとって必要だ。
しかし、自分にとってはやはり借金は「したくない」ものの一つになる。
とりわけ、自分が忌み嫌うのは「複利のついた借金」だ。
利子に利子が付くのが複利だが、これは貨幣が商品やサービスの裏づけをもとに存在しているとすれば、全くぶっとんだ仕組みだ。なぜならお金が実体的裏づけをなしにお金を生み出すのだから。
お金持ちがなぜ仕事をしなくてもいつまでもお金持ちでいられるのかといえば、彼らが持っているお金が新たなお金を生み出しているからに他ならない。
お金がお金を生むのは当然のように思われているかもしれないが(貸し付けたお金に利子が生じる単利には、元本が裏づけとなっているからおかしくは無いのだが)、複利というのは金貸しにとって極めて都合のいい論理以外の何物でもないのだ。
かのアルバート・アインシュタインも「数学の歴史上、最大の発見は何か?」と聞かれたとき、「それは複利である」と答えたとか答えなかったとか。
銀行は信用創造という、政府でもないのにお金を生み出せる仕組みを作って、それをさも経済の拡大に貢献してるかのように偉ぶっているけれど、あんなのは少しレバレッジを下げたFXようなものだ。手元にはない、架空のお金を動かしているのだ。銀行マンがなぜ高給かといえば、その帳簿上にしか存在しない、誰もその価値を裏付けていないお金を受け取っているからで、あれは純粋に経済に与えた価値だけを受け取っているわけではない(と自分は思っている)。
金持ちが金持ちであり続けられるための仕組みというのは、複利のほかにも色々あるが、そういう人たちの私腹を肥やすために貢献したくはないし、もっと単純に利子に消えたお金を無駄にするのが嫌なので、借金はしたくないのだ。
だから、自分は家を35年ローンを組んで買ったりはしないつもりだ。
もともと、家を一世代か二世代間使っただけで立て替えるのはエコロジーとは程遠いというのもある。
借金は、人々に将来得られるお金を前借してまで消費させ、一方でお金を持てる人々が苦も無くそれを増やすことが出来る仕組みだとも言え、安易にそれに頼るのは彼らの思う壺だ。
借金の恐ろしさは一昨日見た映画「カイジ」でも思い知ったばかり。
「ご利用は計画的に」なんて言葉に乗せられる人に忠告したい。金貸しは裏できっと「計画通り」ってほくそ笑んでるよ、ってね。
<参考資料>
お金の話!信用創造のマジック!
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2007/12/post_9383.html
お金って何だろう
http://blog.livedoor.jp/anandtao/archives/51652577.html
アインシュタインも驚いた「複利」について、今日は考えてみましょう。
http://money.monex.co.jp/archives/20070225.html
(120分)