水分補給

冬である。職場の事務室内では、エアコンが休みなく作動し続け、乾いた温風を一日中吐き出している。それゆえ、コンタクトレンズを付けた目が死にそうなほどに乾燥し、自分を苦しめている。夕方になるともはや目も開けていられないほどに辛くなり、終業のチャイムが鳴った直後に急いでコンタクトを外し、解放感を味わいながら「ふぅ」と一息つくのがすっかり習慣と化している。一体自分は何のために、目の健康を犠牲にしながらこんな苦痛を味わっているのだろう。以前は理由の一つだった昼休みのバドミントンも、今は週2回ほどしかやっていない。見た目を気にして・・・なんていうのは笑止千万。誰も自分の見てくれのことなど気にかけてはいない。そもそも、目という最も重要な臓器の一つを犠牲にしてまで尊重すべき外見なんて存在しない。目の機能を失ったら外見を気にする意味もなくなるのだから。4月に入ったら今度こそメガネに切り替えよう、そう決意しつつ、今はまだコンタクトを使い続けている。仕事中は頻繁に目薬を差しているが、それでも水分補給が追いつかないので、涙の分泌を促して出来るだけ目を潤すことが出来るよう心がけている。涙を出すには、あくびをしてみるとか、瞬きをするとかいった方法が代表的だが、自分はそれに加えて、「悲しい音楽を脳内再生する」という方法も積極的に実践している。例えば、RPGの全滅時の曲だとか、アニメの音楽だとか、NHKスペシャル映像の世紀のテーマ曲だとかを頭の中でイメージし、悲しい気分を醸し出すことによって、涙の誘発に結び付けるのである。この際に、最もよく使われる音楽は、クロノトリガーの「歌う山」という曲。あまりにも脳内再生しすぎて、もうあまり涙が出なくなったので、最近はこの曲は使わないようにしている。ただ、こんなことをしてまで涙を分泌しなくてはいけないというのがおかしなことだし、何より仕事中に意識して自分を悲しい気持ちにしようという行為がバカバカしく、仕事のやる気や能率に悪影響を及ぼしていると言えなくもない。真面目に考えてみると別の意味で泣けてくるのも事実だ。自分に負担をかけ、時間とお金をかけてまで滑稽なマネを続ける・・・こんな愚かしいことはさっさとやめるべきだと、つくづく思う。


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(30分)