5年

志村正彦というアーティストがいたことを、自分は決して忘れない。2009年12月24日の彼の死から、今日で丸5年が経ったが、自分の中での彼の輝きは少しも鈍っていない。辛いときも、楽しいときも、ふと口ずさむのは、彼の残した曲だった。2009年の自分の中の音楽は、フジファブリック一色に染まっていた。その真っただ中で、突然彼はこの世を去った。それほどの衝撃的な出来事を、5年くらいで忘れられようはずもない。彼の命日には、いつもフジファブリックの曲を聴くことにしてきた。今年も同じだった。昨日、今日と2日間、「フジファブリック」から「MUSIC」に至る5枚のアルバムを聴いていた。そして、往年の彼の姿に思いを馳せたのだった。


しかし、5年という時は、やはり長い。その間に、人も、社会も、変わっていく。彼の死後、フジファブリックの残された3人のメンバーたちは、新生フジファブリックとして音楽活動を続けた。今までに3枚のアルバムがリリースされている。自分は、これまで、3人の活動を、フジファブリックとしては認められないでいた。志村がいなくなったことによる、あまりに大きな「断絶」のために、志村が最後に関わったアルバムである「MUSIC」をもって、フジファブリックは終わったのだという捉え方をずっとしてきた。3人の楽曲を聴くことを、頑なに避けてきた。でも、5年という月日が経って、自分の中の気持ちも少しずつ変わり始めた。そろそろ、彼らのことを受け入れてもいいんじゃないかと思うようになってきたのだ。志村の音楽は、彼だからこそ作れた、唯一無二の輝きを持ったものだった。その認識は今でも変わらない。だが、新生フジファブリックが作った楽曲が、彼の作ったものではないからといって、それは否定される理由にはならない。曲の賛否は、誰が作ったかではなく、純粋にその曲が心に響くか否かで評価されるべきだ。だから、聴きもせずに、頭ごなしに拒むのは、間違っている。それに、いつまでも5年前のあの日のまま、自分の中にある時計の針を止めておくのも、自分の前進を妨げることになるのではないかとも考えた。彼が亡くなった時の年齢に、自分が近付きつつあることも、自分の気持ちを揺さぶった。時は流れている。現実を素直に受け入れ、前を見て進むべきときが来ているのではないかと思ったのだ。だから、自分は今日、一つ決心をした。今後は、新生フジファブリックの楽曲も聴いてみることにしたのである。それで、さっき早速、Amazonで3人が作った最初のアルバム「STAR」を注文した。今週中には届くだろう。PVも見ていないし、レビューもチェックしていないので、評価は聴いてみないと分からない。でも、その時、止まっていた時計の針が、再び動き出すことになる。それだけは、間違いない。


志村のことは忘れない。でも、遠くなっていくばかりの彼に、ずっとしがみついていることも健全とはいえない。自分は、志村の喪失という断絶を乗り越え活動し続けている、今のフジファブリックを受け入れ、前に進むことにする。5年という年月は、人の心を静かに、しかし確実に変えていくものなのである。

(60分)