人となり

自分って、どんな人間なんだろう・・・。就職活動のときにさんざん考えたものの、結局ほとほと分からなかった問題が、今日友人と話をしていた中で再び頭をもたげることになった。いつもほとんど素みたいな状態で人に接していて、人に対してあまり気を遣っていないし、自分が人からどう思われているかあまり真剣に考えない(そんなこと考えても永久に答えは出ず疑心暗鬼に陥るだけだ)から、自分自身に対しても注意や認識がすごく甘く、「これこれこういう性格で、こんな長所があってこんな短所があり、将来の野望はこんな感じです」なんてことは全然説明出来る状態にない。以前はそれでも各種の記録の作業を通じて自分を見つめる機会があったが、今はあまり記録を付けていないし、仕事のことで頭がいっぱいだし、生活に変化もないので、この問題について自問自答することがなくなっている。これじゃ、これから先長い間自分と付き合っていく上で、何か不便だし、マズイだろうと感じたので、帰りの車の中で一人考えてみた。


まあ本質的なことははっきりとは分からないのだが、ぼんやりとこんな感じかなーと思う要素としては、2つ思い浮かんだ。それは、「こだわりがない」ことと、「忘れっぽい」ことだ。前者は、「自分はこれが何より大好きだ!」「こうでなくてはダメだ!」といった強い執着心がないという意味で、好きな○○というのがぱっと思いつかないことや、行動する際に優柔不断がちなこと、情熱を傾けてひたむきに打ち込んでその道に精通する・人に負けないくらい上達するといった分野がこれまでなかったこと、これだけは実現したいという夢が昔から特にないことなどが、このことを示す具体例としてあげられる。良く言えば、一つの発想に縛られないとか、しがらみがないとかいうことになるが、悪く言えば継続力がなく情熱がないということになるだろうか。自分の考え方・判断基準として、経済学の効率性・合理性重視の考え方を取り入れることで、辛うじて軸のようなものを補っているが、それも結構いい加減なものだ。後者の忘れっぽいというのは、何をしたかの記憶を失うという意味ではなく、気持ちの切り替えが早く、過去の出来事や失敗などを引きずることが少ないというような意味である。何か精神的にショックなことがあっても、寝て起きると忘れることが出来るので、ネガティブな気持ちで悶々とすることはまずない。単純に言えば、能天気ということだ。就職してからは、この性格がかなり役立っているし、機能が強化されたような気もしている。仕事のことで悩んで鬱になったりする心配とは無縁な訳だ。感情を水に流して反省しないとなると進歩がないので問題だが、気持ちは元に戻しても、記憶はちゃんと残っているので、後から分析し改善を図ることは可能だ。「忘れっぽ」いことは便利なことだと思うが、反面で悔しさをバネに何かを成し遂げるといった、臥薪嘗胆的な行動は出来ないので、親の敵を討つよう芸当は到底無理である。


今後はもっとしっかり、定期的に自分について分析・研究・改善を図っていきたいと思うのだが、こだわりがなく、忘れっぽいので、明日にはもうそんなことをする気は失せているかもしれないな。やれやれ、困ったものだ。

(65分)