夏の忘却

一昨日の朝の話。代休で休みの自分が、いつもより遅い時間にのそのそと起きて部屋から出たら、高校生の弟がパソコンの前に座っていた。いつも自分より遅く出かける弟だが、さすがに今日は遅すぎる。「おい何してんだ、遅刻すんぞ!」と思わず声を荒げたら、弟が「はぁ?」みたいに呆れた感じの反応を見せたので、そこで「はっ」と気付いた。「そうか、夏休みに入ったのか」と口にすると、「もう先週から休みだよ」というセリフが、やれやれといった口ぶりで返ってきたのだった。


世の中の児童・生徒・学生が、夏休みという長期休暇を有していることを、自分はすっかり忘れてしまっていた・・・。そのことに気づいたとき、自分は、自分自身に対して驚愕せずにはいられなかった。一年の3分1以上が長期休暇だった大学生の時代はつい半年前のことで、当時は「これから40年以上も長期休暇がないなんて信じられない」と思って長い休みをたいそう有り難がり名残惜しんでいたというのに、今ではお盆の5日間の一斉休業期間さえ「長い」と感じて何をして過ごせばいいのか迷ってしまっている状況なのである。全く自分の順応性の高さというか、ある種の鈍感さには、信じがたいものがあると言わざるを得ない。というか、今思うと学生時代が特殊だったのであって、別に長期休暇がないからといって「辛い」ということには本来ならないのではないか、とさえ思う。少なくとも自分は、働きだしてから、長期休暇が特に必要なものだとは感じなくなった。長期休暇の例として、よく挙げられる欧州の「バカンス」なんてのは、その間にさまざまな店が営業を休止し、多くのサービスの供給がストップすることを彼らが「そういうものだ」と受け入れられるから出来ることなのである(そもそも平時でもサービス水準は高くなく、たとえば電車は遅れるのが当然だとはよく聞く話だ)。時間と引き換えに便利さは制約されるのである(ただし大金持ちは別だろうが)。いつでもどこでも常にあらゆるサービスを100%の水準で享受したいと望み、それが当然であると考える、「コンビニ脳」ともいえるような今の日本人には到底実現出来るはずのない制度、それがバカンスなのである。


職場で学生を毎日見かけていても、彼らとの接点は全然ないので、夏休みに突入した、ないし突入目前の状態であることには全く気付かなかった。たぶん、多くの大学職員はそんなもんだろう。学生と接点がない人のほうが、ある人よりもずっと多数派なのだから。日々の仕事を淡々とやっていると、あっという間に季節がめぐり年を取ってしまいそうだ。ああ、こわいこわい。

(50分)