メインメールアドレス

1月下旬に、PC用のメインメールアドレスを、プロバイダ提供のアドレスから、Googleが提供するGメールのアドレスに変更した。

 

 

その理由としては、
(1)旧アドレスは長い期間、色んなサービスで使い続けたことで、スパムメールや不要な広告メールが増えてきたため、余計なものをリセットしたかった。
(2)旧アドレスは、実家で契約してるプロバイダが提供しているもので、実家を離れている状態では何かと不便だった。
(3)ウェブメールではないので、アパートのPCからでしかメールチェックできない。
(4)長期間使用しているため、メールアドレスとパスワードがどこかに流出していて、不正に利用される可能性も否定できない。
・・・といったことが挙げられる。これを打開するため、今回思い切って、各種ウェブサービスの登録メールアドレスを一つ一つ変更する作業に取り組んだのだった。レガシーシステムを入れ替えるようなものだったので、ひたすら地道な作業になった。

 

 

こうして結果的に、PCに加え、スマホ上からいつでもどこでもメールチェックが可能になり、メインメールの利便性は飛躍的に向上した。その利便性は、自分の個人情報がGoogleに集中するという代償と引き替えに手に入れたものではあるが、得たものは代償以上に大きいものだと言えるだろう。個人情報はただ守るだけでは何の意味も価値もない。目的に応じて必要な情報を提供しつつ、誰かに悪用されていないかをきちんとチェックするのが、自分の利益となる正しい個人情報の使い方というものだ。いずれ、今使っているキャリアメールもGメールに置き換わる日が来ると思う。ただ、長年使ってきたキャリアメールへの思い入れは、まだ相当強いものがあるので、その日はもう少し先になりそうだ。

 

(30分)

メンタルタフネス

育児においてもっとも大事な心得は、 「親がストレスを溜め込まないこと」だと思う。 なぜなら、親が常にイライラしたり落ち込んだりなどしてストレスフルな状態でいることは、 子供に良い影響を与えないだけでなく、 仕事や家庭生活にも悪影響を与えてしまうからだ。いくら子供はかわいいといっても、 大なり小なりストレスは必ず生じる。それを我慢だけで克服しようとすると、絶対にどこかで無理が生じ破綻する。親がそうしたストレスを子供にぶつけることなく 、いかに上手に発散するかを、 子育てにおける重要なテーマとしてもっと議論し、実践するべきではないかと思うのである。気持ちを前向きに保てないと、何も新しいことをやる気になれないし、子供の教育について考えたり学んだりする余裕さえも持てなくなってしまう。

 

さらに夫の場合は、 自分自身が感じるストレスへの対処だけではなく、 妻のストレスのはけ口になることも考えなければならない。 結婚に伴い妻が夫の地元に転居してきた場合 、妻が子供にかかりきりになる専業主婦世帯はもちろん、共働き世帯においても、 一般的に夫より妻の方が社会との接点が少なく、 身近に相談できる相手を持てないケースが多いと思う。 そうした妻にとって夫は貴重なストレスの発散先であり、 夫はそのことを自覚した上で、妻のストレスを取り除くために積極的な役割を果たさなければならない。 具体的には、 軽度のストレスであれば妻の話相手になることが有効だと考えられるだろうし、 重度の場合は妻の拳や蹴りを無抵抗で受け止めることも必要になるだろう。 最悪なのは、妻のストレスの最大の原因が夫自身の言動にある場合だ。 夫はそこで、自身が無自覚のうちに妻に与えてしまったストレスの倍返しを受けることになる。 夫には、いかなる時においても妻の良き相談相手となり、 妻のストレスを見逃さず、 それをこまめにケアし、ときには妻のサンドバッグとなることも厭わない覚悟が必要なのである。家にいるとき、妻ケアの意識を忘れて一人でリラックスしているような夫・・・彼は、いずれ妻のマグマの噴火の直撃を食らうことになることを知らない、哀れな存在だと言えるだろう。

 

要するに、二重のストレスにさらされても折れない、 爆発しない 、メンタルの強さこそが、育児中の夫に最も大切な素養なのである。自分自身、こうしたダブルのストレスを感じているし、気持ちがなかなか前向きになれない日も時々ある。ではどうやって 、強いメンタルを身につけ、 維持するか。 時間をかけず 、妻子に迷惑をかけず、 お金もかけないで 、しかも正々堂々とできる方法でなければいけない。発散方法と、心理術の2つの側面から、具体的なストレス対処法を最近整理し始めた。まとまったら、今後また記事にしたいと考えている。

 

(40分)

保育園のおかげ

今日はセンター試験の振替休日で、平日休み。妻は仕事だったので、アパートにこもって子供と二人きりで1日過ごし、家事をしつつ、食事や寝かしつけなどの子供の世話に追われた。こういうときは、保育園のありがたみを痛感する。

 

 

子供は、1歳3ヶ月だった昨年11月から、保育園に通い始めた。朝は自分が7時半ごろに保育園に送り、夕方は妻が16時過ぎにお迎えに行くというサイクルで、平日は毎日預けている。妻は育休を終えて12月から職場復帰することができた。保育園は食事などの親の育児の負担を軽減してくれるだけでなく、ほかの子や大人と接することで子供の社会性を育む機会にもなるし、様々な遊びを通じて知育や発育も促進され、日常生活に欠かせない生活習慣を身につける手助けもしてくれる。子供にとっては保育園で様々な経験をすることが成長につながるし、親も保育園のおかげで、仕事と家庭のバランスを取れたり、育児にかかるストレスを軽減できたりする。特に、実家の祖父母等に頼れない我が家のような核家族では、その恩恵は計り知れない。保育園、保育士さんには、日々感謝するばかりだ。

 

 

ただ今日は、午前中に子供を医者に連れて行ったら、思いの外時間がかかって給食の時間近くになってしまったため、休むことにしたのだった。子供、特に言葉の通じない乳幼児の世話は、本当に大変だ。食事やミルクを拒まれたり、抱っこしても泣き止まなかったり寝付かなかったりすると、こちらも気が滅入るし、不安になるし、場合によっては苛立ちも覚えてしまう。今はそうではないが、夜泣きで寝不足だったり、仕事のストレスが溜まっていたりすると、親の精神状態もなおのこと不安定になるものだ。子供が自分の思ったとおりに行動しないのは至極当然ではあるし、急がせたり強制したりすべきではない。だが、だからといって慈悲深く何でも許容できるかといったらそんな訳もない。親といっても、一介の人間に過ぎない。そういうストレスを感じたとき、自分はアドラー心理学の「課題の分離」(自分の課題と相手の課題を分けて考えること)を意識して、気持ちを切り替えるようにしているが、苛立ちの矢が我が子に向かって飛んでしまう人も中にはいることだろう。ずっと二人きりでいると、大人にとっても、子供にとってもストレスがかかる不幸な状態に陥りかねない。そういう問題もあるからこそ、「子育ての社会化」が叫ばれるのだろう。もっと、社会が子育てに関心を持ち、子育て世代の大変さに理解を示し、社会全体として財政的、物理的、精神的にサポートしていこうというムーブメントが盛んになっていかないと、少子化に歯止めはかからないだろうなと思う。

 

 

明日からは子供も保育園に復帰する予定だ。保育園への感謝は、どんなときも忘れないようにしたいと思う。

 

(30分)

初滑り2018-2019

晴天に恵まれた今日は、地元の杉ノ原スキー場に滑りに来ている。自分にとってホームグラウンドというべきスキー場だ。年末年始に家事育児に専念したことを妻に感謝され、今朝、特別にスキーに行く許可をもらえたのだった。こういう幸運は予定して訪れるものではないし、友人を急に誘う訳にもいかないので、今回は単身での初滑りとなった。基本的に子供が小さいと何が起きるかわからず、予定通り行くことのほうが稀だ。それ故、家族単位か、単独での行動が必然的に増える。

 

 

今日のスキー場到着は10時30分だった。子供を保育園に送り、実家でスキー道具を引っ張り出してから向かったので遅くなってしまった。スキー、スノボーというのは、つくづくコスパの悪いスポーツだと思う。スキー場までの移動に時間とガソリン代がかかるし、リフト券も高いし(今年は3枚だけ早割券を買った)、道具も高い。現地に行くにも、リフトを動かすにも多大なエネルギーを消費するから、繁盛すればするほど温暖化を促進して雪が降りにくくなり、自分の首を締めるという皮肉な側面もある。レジャーだと考えれば、こうした矛盾も、まあやむを得ないが、そうなると一人で来るのは何だか味気ない。それと、これからは、技術の向上ではなく、今の技術の維持のために毎年必要最低限の回数だけ、スキーをするのが関の山になると思う。子供がもう少し大きくなったときに、教えてあげられるレベルの技術と体力の維持が目的だ。だから、「スポーツとしてのスキー」は、もう自分の中では終わりを迎えつつあるのかなと思っている。そんなわけで、1年ぶりのスキーだったのだが、新雪がたっぷり積もっていたし、駐車場にひしめく車の台数の割にゲレンデ上の客は意外と少なくて、とても滑りやすく、気持ちよく楽しめた。あまりに思い通りに滑れたので、いつの間に自分の腕が上がったのかと驚いてしまうほど。まあそれは100%、雪質のおかげだろう。

 


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こんなことをリフトに乗りながら考え、打ち込んでるうちに、全コースを滑り終え、そろそろ帰る時間が来た。帰ったら妻に深く頭を下げて、丁寧にお礼しなければ。もちろん、お土産の温泉まんじゅうを献上するのも忘れずに。

 

スマホアプリ、30分)

Happy nothing special day!

2019年1月2日、今日で年末年始の連休は折り返しだ。自分の職場は12月29日から1月6日まで9連休となっている。始まる前からあまりにも長すぎると思っていたが、4日終わった今の時点で、すでに休みぼけが著しく、休みに飽き飽きしている。さっさといつもの生活リズムに戻したい、リハビリのためにここらで休日出勤しようかと考えているほどだ。今年は5月にも改元に伴う10連休が予定されているが、それも仕事の停滞を考えると、残念ながら喜べそうにない。

 

 

そうそう、気づけば2018年も終わり、2019年が始まっていた。今年の年末年始は、アパートで家族3人で過ごしている。例年は「1年の終わり」と「新たな1年の始まり」を強烈に意識して、ブログで「締め」という記事を書いたり、新しい手帳に「今年の抱負」を書いたりしてきたし、それに相当なエネルギーを割いてきた。だが、今回から、年末年始を記録上、心理上、特別扱いする行動は一切やめることにした。理由は単純だ。大事なのは、年末年始に特別な決意を固めることではなく、1日1日を特別なものとして大切に過ごし、今という時間を一生懸命に生きることだ、と考えたから。つまり、ほぼ日のテーマである「なんでもない日、おめでとう」の精神である。子ども中心の生活で、毎日子どもと真剣勝負で向き合って過ごす中で、ずっと前から知っていたこの言葉について、だんだんと納得感を持って、しみじみと意識するようになってきていた。落ち着いたら、あとでこれをしようとか、今年中にこれを達成しようとかいう目標の立て方は、日々に精一杯の中ではもはや現実的ではなく、「いつか」に期待する生き方は、かけがえのない「今」への注意散漫を招く。「一生懸命の今」を積み重ねることが大事なのであって、年末年始だとか、そういったときの時間を特別扱いして、ましてや慌てることには意味がないのだ。そう思って、特別な記録は一切つけなかった。ちょっとまだむずむずする感じはあるし、若干寂しくはあるが、一度止めてしまえば良くも悪くもそれが定例化するので、今後はこれが定着するだろう。

 

 

そういう訳で、自分は年末年始だからといって特別なことはしていないし、気持ち的にも新年を迎えたからといって特に変わったことはない。年末年始のイベントは全て妻の希望に合わせて実行している。元々年末年始の行事には執着がないので、家族の希望を叶えることに注力し、大晦日は「行く年来る年」を見てカウントダウンしたり、元日は初詣に行ったりした。今年にあえて目標を立てるとしたら、家族全員が明るく健康に過ごせて、子どもがすくすく育てばいい、というくらいだ。シンプルだが、それが一番大事なことである。今年はそれを常に頭に置いて、でも気張らずに、1日1日を一生懸命過ごすとしたい。

 

(40分)

長引く咳

もうかれこれ1週間以上、咳に悩まされている。2週間ほど前に喉が痛くなり、熱っぽさなど風邪の症状が出たのだが、風邪が治まった後も、乾いた咳の症状だけが残り、それが先週からしつこく続いて自分を苦しめている。日中はもちろんのこと、夜、寝ているときにも発作的に咳が出て、自分の咳で夜間に何度も目を覚ましてしまう。眠りは当然浅くなるし、仕事中はマスクをつけっぱなしでゴホゴホうるさいものだから、周りからも心配されるしと、全くもって迷惑している。こんなに長期間、咳が続くことはこれまでの自分の記憶にはない出来事だ。同僚の話から「マイコプラズマ肺炎」ではないかと疑い、昨日の午前中、近所の耳鼻咽喉科を受診したのだが、「喉は荒れていない。鼻炎だろう」と言われて、鼻炎や咳止め等の薬を処方された。マイコの疑念も伝えたが、「ないない」と言われ検査はしてもらえず。もやもやした気分が残ったが、ひとまずは処方された薬を飲んで様子を見ることにした。これを書いている今朝も症状は相変わらずで、咳で朝5時に目が覚めたのでそのまま起きている。来週になっても改善しなければ、別の医者にかかって、今度こそマイコの検査を受けようと思う。

 

(10分)

 

※2018/12/11追記 咳は完治した。マイコではなかったようでよかった。

はてなブログ移行完了

本日14時30分頃、「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へのブログの移行を完了した。2009年10月のブログ「戯言注意報発令中」開設時から書きためた全記事、約1640本(更新日数1500日以上)が新しいデザインとURLに移された。もちろん、全記事を一つ一つ確認した訳ではないが、作業成功と表示されたので、コメントや写真も含めて全部無事移されたのだろうと考えている。自分は「はてな」のことを信頼しているので、移行に関して特に不安はなかった。

d.hatena.ne.jp

はてなダイアリーのサービス終了予定のお知らせは、2018年8月のリリースの直後に知っていた。だが、なかなか落ち着いて作業できる時間がなかったのと、すぐに対応すると色々トラブルとかサーバーの混雑があるだろうと考え、しばらく保留していた。たまたま今日は日中にPCに向かう時間ができたので、今しかないと思って「えいや」でやってみたのだ。まず、はてなブログで新ブログを立ち上げてから、ダイアリーからのインポートを開始。ブログタイトルは変更しなかったが、URLの文字列はIDから自分の好きな言葉に変更した。記事全体の移行は20分ほどかかったが、はてなブックマークと旧URLからのリダイレクトは一瞬で終わった。はてなブログで記事が見られるようになったと同時に、ダイアリーの旧URLの画面は見られなくなった。ブログパーツや、55万を超えていたカウンターもリセット。前者はすでにリンク切れしていたのも多かったし、後者も今さら特に気にしていないので、問題なし。年越し前に懸案事項が一つ片付いて、気分的に少しほっとしている。

 

今後も、基本的にはPCで記事を更新していくつもりだが、はてなブログでは専用アプリから更新することもできるらしい。アプリの評判はどうやらあまりよくないようだが、時間があれば試してみようと思う。これからも、自分の人生の足跡、ライフログとして、「戯言注意報発令中」を更新し続けたい。その思いを、改めて強くしたのだった。

 

(15分)