日本人

容堂「武士も大名も無(の)うなってしまった世の中に何が残る。何が残るがじゃ!」
龍馬「日本人です。異国と堂々と渡り合う、日本人が残るがです!」


昨夜の龍馬伝のクライマックスといえるこの場面。龍馬は涙を流しながら、大政奉還の必要性を、この国を変えなければならないことを山内容堂に訴えた。龍馬の言葉には、ぐっと胸に迫るものがあった。


幕末の動乱を経て、日本は明治維新を成し遂げ、新たな時代が幕を上げた。日本という国が、列強諸国が割拠する世界へと、独立国として自らの力で歩み出していった時代だった。富国強兵の国家体制で、戦争もあったし、色んな差別とか、富の分配の不平等とか、社会保障の未整備とか、医療技術の未発達とか、今の時代に比べたら多くの面において未熟で、精神的にも物質的にも豊かとはいえない時代だ。当時を手放しに賛美することはできない。だけど、当時の日本人の野心や向上心の強さ、エネルギッシュさ、楽天さ、明るさといったものは、見習うべき価値があると思う。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見ていると、そう強く感じる。このドラマは素晴らしい作品だが、その魅力の半分は、あの美しいテーマ曲にあると自分は感じる。もう自分の中でのドラマのイメージと、明治時代のイメージとが、あのテーマ曲と完全に一致してしまって、どうやっても頭の中から離れないのである。久石譲の紡ぎだしたメロディの美しさ、その作品とのシンクロ率の高さには、もはや脱帽を通り越して、頭の毛さえ全部むしり取って差し出してしまいたくなるほどである。その所業は神の領域に達していると言わざるを得ない。坂の上の雲は去年から始まったドラマだ。去年はもちろん第一部の5話を全て見たし、来月から始まる第二部も絶対に見る。龍馬伝も毎週わくわくしながら楽しみにしてきたが、第二部に対するわくわく感はそれを凌駕するものだ。NHKは本当にいい仕事をする。毎日見ている報道番組もよく出来ているが、最近は重厚で骨太なドラマこそ、NHKの真骨頂なのではないかと思うようになった。これまでに見てきた「ハゲタカ」、「監査法人」、「再生の町」、「刑事の現場」、「鉄の骨」、「外事警察」、そしてこの土日に見た「チェイス国税査察官〜」と、近頃のNHKの土曜21時からの連続ドラマは本当に粒ぞろいだ。こうした社会派ドラマには本当にハラハラドキドキさせられる。これを一度味わってしまうともう病みつきになってしまって、トレンディドラマなんか絶対に見れない(もともと見ない人間だが、一層見なくなってしまう)。公務員が主人公であるドラマも多いが、公務員の仕事を現実から乖離させることなく、むしろリアリティに徹することによって、エンターテインメント性の高いストーリーに作り上げてしまうその力量にはぐうの音も出ない。今後とも、NHK大河ドラマ土曜ドラマからは目が離せないというものだ。


D
↑聴いているとなぜか泣けてくる。コメント非表示推奨。


ところで、日本人って何だろう。何が「日本」だろう。国旗や国歌は違う。国旗を燃やされても別に心は痛まないし、怒りが芽生えたりもしない。あれは国家の識別記号であり、少なくとも現在の日本人のアイデンティティを支える精神的な支柱ではない。国旗や国歌の下に日本人が統制されていると考えているとしたら、反日デモの参加者たちは相当な思い違いをしていると言わざるを得ない。日本人は国民として制度としての国家に統制されてなんかいないし、戦前の反動でむしろそんなのはまっぴらだと思ってる。だから国旗を燃やして日本人を刺激しようとする行為は的外れである(まああれは報道機関向けの定番的な分かりやすいパフォーマンスに過ぎないであろうし、デモ自体も「やらされてる」感を感じないでもないのだが)。彼らは日本人のことを分かっていない。分かってない相手に対してやっているから、喧嘩の土俵にも上がれていない。相互理解を深めるためには、相手と本気で議論を交わすのが一番だ。だから本気で喧嘩するつもりなら、きちんと相手のことを理解して、相手が反応するようなやり方をしないと。じゃあ何をしたら、具体的には何を壊したら日本人のアイデンティティに火をつけられるだろうか。すでに書いたように、単に制度としての国家を象徴するものでは効果は期待できない。日本で培われてきた、日本人が培ってきた文化的、歴史的、精神的な特色、それらが反映されている具体的な存在や習慣等でないとダメだ。だとすると何か。自分が日本人として、破壊されて心が痛むとしたら、それはズバリ「温水洗浄便座」である。ウォシュレットとか、シャワートイレという商品名で知られる便器である。これは日本人を日本人たらしめるかなり重要な要素だと思う。もしデモ隊がこれを破壊していたら、自分は「あ、この人たちは日本人のことを分かってるんだな」と思って流し聴いていたニュースについ目を凝らしてしまうだろう。そして、彼らの主張に耳を傾けてみたいという気持ちがわいてくると思う。でも実際そうなったら、彼らの日本人理解の深さに感心しちゃって、喧嘩する気は全く起こりそうにない。またそこまで日本人のことを分かってくれている人たちが、デモを起こすとも考えにくい。ということで、デモ隊がこうした行動を取る可能性は限りなくゼロに近いのであり、上に書いたことは思考実験に過ぎないということである。でも日本人って、なんだろうか。国民意識が希薄な中で、日本人という意識を形成し、日本人同士を見えないところでつないでいる糸は何なのだろうか。自分には、なかなかその明確な答えは出せない。だが、少なくともそれは血じゃないはずだ。

(90分)