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誕生日なんて自分の老化を意識させられるだけで、15になった時以来嫌な日でしかないのであって、プレゼントをもらえるのと周りからの配慮を感じられるのがかろうじてそのなぐさめになるのだが、登校しても去年と違って誰も気付いていなかったのでがっかりした。(2005年11月17日、18才、手帳より)

誕生日という日において嬉しいのは、自分が年を重ねたという事実それ自体ではない。この日を祝して周りの人からもたらされる心遣いこそが、誕生日を何より嬉しい出来事にするのである。(2010年11月18日、23才、ブログより)


・・・上に挙げた2つの文章は、いずれも自分の誕生日に際して書かれた感想である。今日は自分の27才の誕生日だった。将棋の日でもある(八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、旧暦の11月17日に「御城将棋の日」として御城将棋を行うようになった。−wikipedia−)。27才ということは、生まれた日から数えて28回目の11月17日を迎えたということになる。それだけの膨大な積み重ねの上に成り立っている割には、今の自分自身があまりに不甲斐ないことに呆れるのだが、それは毎度のことであり、おそらく死ぬまで変わらないのだろう。自分は一生、「年相応の大人」になんてなれないし、それはそれで別に悪いことではない。自分の未熟さを嫌って何とかしようと発奮するなら、それはむしろプラスに働くとも言えるからだ。誕生日は、自分の中の様々な葛藤が表出する、ちょっとややこしい日になるのが、毎年恒例の出来事である。


ただ、例年に比べると、今日の誕生日は穏やかだった。「また年を取ってしまった」と嘆くこともなかったし、かといって周りから予想外にお祝いを受けて困惑することもなかった。試しに職場のグループウェアの自分のスケジュールに「27th Anniversary」(27周年記念)と入れてそれとなくアピールを図ったのだが、誰も気付かなかったようだ。同僚が同じようなことを以前にやってみたところ誰にも何も言われなかったとがっかりしていたので、自分の場合はどうだろうとマネしてみただけだったが、やはり同じ結果だった。他人の誕生日のことを気にかけるような暇な人はさすがにいないようだ。まあそれはどうでもよかった。今日は月曜日だし、週の頭から疲労を重ねても仕方ないと思い、周りが誰も帰らない空気を無視して、18時半前に退勤した。買い物をして、帰宅したのは19時半。用事もないのにこんな早く家に帰られるのは何だかすごく久々だった。これが誕生日を迎えた自分へのプレゼントというやつだった。あともう一つ、「プリンエル」でプリンを作って、カラメルをたっぷりかけて食べたのも、自分へのプレゼントだった。自分はプリンエルで作るプリンこそ、一番おいしいのではないかと信じて止まない。


そんな感じで、今日は特段誕生日らしくもない、普通の1日だったが、それでも記念日は記念日である。明日が来る前の最後のセレモニーとして、最後にフジファブリックの「Birthday」を聴いて(歌って)から、眠りに就くとしたい。28才になるまでに成し遂げたいことは特にない。とにかく、自分が健康で元気に生きていること、それだけを願いたい。

(30分)