FB2006/11:自分とバドミントン(前編)

2006/11/3(金)


今〔注:大学1年次〕じゃ帰宅部で、人ともほとんどかかわりを持っていない自分だが、これでも小中学生のころバドミントンをやっていた経歴がある。小5のときに町のスポーツ少年団にバドミントンクラブが開設されて、「バドミントンは簡単そうだから」と思って何となく入ったのがきっかけで、その後中3の7月末まで4年半もの長きにわたって続けたのだった。だがその間には、自分の人生観に影響を与えるほどつらいこともたくさんあった。 


小5の5月ころだったろうか、自分はすでにバドミントンクラブに入っていた同級生の誘いに乗る形で、そのクラブに入った。出来たばかりのクラブだったため、参加している子どもはみな同じ5年生。そのうち半分くらいは同じ小学校の同級生だった(学年1クラスしかなかったので全員知っていた)。コーチ陣は町のバドミントン協会の人たちで、監督は自分のすぐ近所に住んでいる人で見たことのあるひとだった。


バドミントンを甘く見て安易に入った自分だったが、そこで待ち受けていたのは予想外の状況だった。素振り、フットワーク、様々なルール・・・。バドミントンは思ったほど単純なスポーツではないと気付くにはさほど時間はかからなかった。バドがそういうものであると分かると同時に、自分は自分が他の人より能力が劣っていることを意識し始めた。元々運動神経が鈍く、スポーツは苦手なほうだった。唯一人に並べる物と言ったら持久走程度。週2回の練習を続けるごとに、自分の出来なさへのコンプレックスが強くなっていった。そしてそれと共に、行きたくないという気持ちも強くなっていった。時にはそれが抑えようもなくなってしまい、部屋に篭って駄々をこね、休んだこともあった。だが普段内気で親に逆らえないタイプの子どもだった自分は、メンバーが少ない状況からやめることも出来ず、いやいやながらもほとんど休まず行き続けた。


小5の2月か3月のことだったと思う。近くの市の一番大きな体育館で行われた大会に、ダブルスで参加することになった。何だかんだで仲良くなっていたクラブ内の他校の子とペアを組んで、試合に望んだ。だが結果は敗戦。それまでにも大会に参加したことはあったはずなのだが、何故かそのときは号泣したのを覚えている。つらいのに耐えて一年やってきたのに・・・、何で勝てないんだ!・・・そういった怒りや悲しみが一気にこみ上げてきたのかもしれない。観戦に来てくれた両親に見られないよう、通路に隠れて自分は泣いた。


次の年、6年生になってからも、自分はそのクラブに所属し続けた。練習はきつくつらかったし、試合では相変わらず負け続けていた。でもメンバーとは結構仲良くやっていた。たまに親も参加した懇親会みたいなものが行われて、普段のことは忘れてわいわい騒ぐこともあった。ゲームを貸し借りすることも結構頻繁にあった。またこの年には、新たな5年生がメンバーとして加わり、6年生にも一人新たなメンバーが加わった。後輩はみな同じ学校の顔を知っている奴ばかりだったので、練習の開始前後には打ち合いや雑談で盛り上がった。そのころになると自分は同級生より、後輩のほうと親しくするようになっていた。一方で同級生とも当時流行っていたドラクエモンスターズの通信対戦を練習後にこっそりしたりもした。


だがそんな明るい思い出ばかりがあるわけではなかった。消したいような思い出もたくさん生まれていた。さっきのドラクエモンスターズで起こった事件に「ぱふぱふ事件」というのがあった。ある大会に行ったときに、同級生2人がモンスターズの通信対戦をしていて、自分など数人がそれを周りで見ていた。そのときに、おそらく「やせい」ステータスが高かったのだろう、一人が使っていたモンスターが命令どおりに戦わずに「ぼーっとしている」という表示が出た。自分はそれを見て何となく「ぱふぱふ使ったの?」と発してしまったのだ。当時の自分は「ぱふぱふ」は単なる技の一つとしか解釈しておらず、どんなことかなんてことは考えもしなかった。だが周りの連中はその意味を知っていたのだろう。自分がぱふぱふと言ったことを激しくからかった。ぱふぱふだって!はははw、うわー、エッチだなーw・・・そんなことを言われた気がする。自分は困惑すると共に悲しくなったのだった。しかし事件はそこで終わらなかった。その数日後にクラブの練習に行ったときのことだ。あのときの連中が話を広めたのだろう、後輩の5年生がそのことを再び取り上げて自分を馬鹿にし始めたのだ。同級生にバカにされるのにはそれなりに免疫があったが、後輩にそれを受けるのは打たれ弱い自分にとってとてつもないショックだった。自分の目には一瞬で涙がこみ上げた。その場にいるのが耐えられなくなった自分は即座にすぐ近くのトイレに駆け込み、泣きじゃくった。とにかく小学生のころの自分は泣き虫だった。拭くものもないままとにかく涙と鼻水をだらだらと流し続けた。やがて練習が始まる時間になり、自分は充血した目で、しゃっくりを引きずったままで、そろそろとトイレから出てきた。それを見て動揺したのか、そこに至って後輩たちも反省の色を見せ、口々にごめんと言った。そこでようやくこの事件にはけりがついたのだった。


また監督のせいでつらい目に合わされたこともあった。ある大会へ行ったときのことだ。近所に住む監督が一緒に乗せて行ってくれるというので自分はそれに従った。だが向かう途中で渋滞に巻き込まれ、会場に着いたときには他のメンバーはすでにウォーミングアップを終えていた。遅れて会場入りし、戸惑う自分に対してコーチが致命的なことを言った。「コートの周りを走って来い」。しかし他のクラブも含め、もう体育館で走ったりしているものはいない。自分が唖然として突っ立っていると、追い討ちをかけるように周りのメンバーが早く行けと追い立て始めた。自分は恥ずかしいという思いで頭が真っ白になりながら何周か走った。今なら平然と出来ることだが、当時はそんなことが物凄く恥ずかしく感じられた。客席から注目を浴びているような気がしてどうしようもなかったのだ。やっと走り終えてメンバーのところへ戻ったが、監督からは何の言葉もなかった。自分の思いなど分からなかったのだろう。それ以降、監督に対する自分の視線は冷たくなった。


段々後輩にすら勝てなくなっていったこともつらかった。クラブの同級生は野球なども掛け持ちしているスポーツ万能な人が多く、自分は女子にも勝てなかった。それはまあ仕方ないことだと自分はあきらめていた。だが後輩に負けては自分のメンツが立たない。そこはどうしても負けるわけにはいかなかった。小6の冬、クラブ内の5年生の№1、№2の男子とシングルスをする機会があった。まず2番手の奴と試合をした。結果は負け、自分は焦った。相手が「あれ〜?」という感じで嘲笑しているのが感じられ悔しかった。次に戦ったのは一番の実力者。どうしても負けるわけにはいかない。力を振り絞り何とか競り勝った。№1に勝って№2に負けるなんて変なの、ということでその場では何とか自分の体面は保つことが出来た。しかしもはや余裕はなくなっていた。すでに実力は後輩にすら引けを取りつつあったのだ。


そんな調子でもとりあえず一年間ほとんど休まずに練習に出た自分だったが、そろそろ続けるのは限界じゃないかと感じ始めていた。中学生になり、部活をどうするかという選択も迫られていた。思えばここが運命の分かれ道だったのだ。


*後編に続く


(原典:初代ブログ)


*フラッシュバック 第7回*

これを読んで、すっかり忘れていた過去を思い出した。辛かった過去も、今となってはいい思い出だ。小5〜中3の4年半のバドミントンの経験なくして、今の自分はいない。当時のことを振り返ってみて思うのは、やはり「幼い」ということだ。人前で簡単に泣いてしまうとか、コーチ陣の厳しさに反感しか感じていなかったりとか。嫌なことからすぐ逃げようとするところなんて、今と全然変わっていない。今の自分もまだまだ未熟ということだ。

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