スマホ

猫も杓子もスマートフォン、という感じの近頃のスマホの急速な普及ペースに、違和感を禁じ得ない。「いずれフィーチャーフォン(従来型の携帯電話)は全てスマホに置き換わる」「画面タッチで直感的に操作できるスマホのほうが、機械に不慣れな高齢者には適している」などという主張を雑誌や新聞等で見かけることもあるが、果たしてそうだろうか。こういう「時代の流れに乗り遅れるな!」的な、いわば一つの方向に社会を誘導しようとするような論調には、自分は真っ先に懐疑心を抱いてしまう。だいたい、本当にスマホを使う必要がある人が、一体どれだけいるのだろうか。「スマホでなければ出来ない」ような使い方をして、ビジネスシーン等で有効に活用している人なんて、まずもってほとんどいないだろう。ほとんどの人は、スマホの大容量通信回線と処理能力の高いCPUを、動画を見たり、ゲームをしたりといった暇つぶしの娯楽用途か、ネット検索とGPSを使って飲食店を調べたり、道案内をさせたりといったレジャー用途で使っているだけで、それ以外の電話やメールといった機能等については従来の携帯と同じことをしているだけだと思う。そんなふうにスマホを「便利な遊び道具」的に使うだけの人たちが急増することで、重大な問題が発生している。データ通信量の増大による通信回線のパンクである。先月末、東京都内においてNTTドコモの大規模なネットワーク障害が発生したという報道がされたが、スマホブームに火を付けた張本人であるはずの携帯キャリアでさえも手に負えないほど、この問題は悪化の度合いを深めているのだ。日常時のみならず、特に災害時や緊急時に個人の安否を確認するための通信手段として役立つなど、携帯はもはや、重要な社会インフラの一つにまでなっている。それなのに、スマホが回線をひっ迫させ、使うべきときに使えないような状況を招いているようでは、携帯のインフラとして安定性を損ねかねず、由々しき事態であると言わざるを得ない。これは、通信設備を増強し回線の容量を増やして解決すべき問題ではない。通信設備の増強は、すなわちそれを運用・維持するための電力の増大を意味する。電力消費を抑制することが必要とされている今の日本の状況に反する行為だ。従って、スマホは誰もが使うべきものではなく、ましてや従来の全ての携帯に取って代わるものではない。今までの「ケータイ」とは用途や役割において一段異なる次元の存在であることを認識し、明確な目的意識を持った上で利用すべきものである、というのが自分の考えである。


通信量が多い人も、少ない人も同じ料金を課される定額制の課金システムも、いずれ見直されることだろう。現在の定額使い放題の状況がいつまでも維持できるはずはないし、通信量に応じて課金する従量課金のほうが、本来合理的で公平な制度である。PCのブロードバンド回線も、いっそ従量課金にしたほうがいいのではないかと自分は思っている。そうすれば、目的もなくネットサーフィンに時間をつぶすようなことは少なくなるはずだし、P2PでGB単位の映像データを違法ダウンロードをしている人たちは自然に消滅するだろう。ダイヤルアップ接続をしていた時のような通信量を意識した緊張感のあるネット利用が復活すれば、通信回線に余裕が生じ、日本の電力消費の抑制にも寄与することは間違いない。まあ、それは極論としても、一度始めたら際限がないという点でネットは暇つぶしの道具としては「最凶」なので、いつでもどこでもネットが使えるスマホはそれこそ最悪の時間泥棒だと言える。自分はもう必要なくネットを使うようなことをあまりしたくはないし、ネットが使えないとイライラしてしまうようなかつてのネットジャンキー状態には永久に戻りたくないので、今後もスマホに乗り換える気はさらさらない。

(75分)


<追記>
○端末について、国内メーカーより海外メーカーのほうが、高いシェアを握っているのも気に食わない。スマホの部品に占める日本メーカーの比率は高いというが、結局は最終製品を作っているところが一番多くの利益を得るのだから、下請けを続けている限り勝ち目はない。
○電話機能しか使わないお年寄りにスマホを使わせてもしょうがない。タッチパネルのついたらくらくホンを作ればいいだけのことだ。ただし、高齢者にとって本当にタッチパネルのほうが操作性が優れているのかどうかには、なお疑問が残る。
○現在の自分の1カ月の携帯料金は、約2300円である。もしスマホがこれより安いなら、まだ購入を考える余地はある。